2011年6月3日金曜日

不信任案否決 今更ほぞをかんでも後の祭り

 衆院で2日行なわれた菅内閣に対する不信任決議案は民主党や国民新党などの反対多数で否決された。

 直前の鳩山前首相との会談や代議士会で、菅首相の「一定のメドがついた時点で身を引く」という含みのある発言で、それまで不信任案賛成に傾いていた若手議員や、こともあろうに鳩山前首相までもが不信任案に反対票を投じた一連の国会のゴタゴタはちょうど園児の寸劇を見ているようで、日本の政治というのはいまだ未成熟だとあらためて思い知った。

 不信任案が否決された後で、菅首相が「辞任する等と言った覚えは無い」と開き直ることを鳩山前首相や若手の国会議員が予想できなかったのは仕方がない。民主党のレベルとはそんなもんだ。本当の政治家ならばきちんと書面を録っておくのが当然で、ここでも政権担当能力に欠ける党の一面を見た気がした。

 国会議員であれば、いや政治家であれば言ったことに責任を持つことが当然なのに民主党の幹部の言うことは信用できぬことを今更ながら思う。それを首相が率先して行なえば他の閣僚は何をかいわんや。だからこそきっちりとした書面が必要なのである。

 今、不信任案に賛成して解散にでもなったら再び国会議員のバッジをはめるのは難しい。それなら残りの任期を今の身分で通しきったほうがいい。その間にまた民主党の支持率も上向くかも知れない。代議士会で菅首相は若手に後を譲ると言っているし、鳩山前首相も党を二分するようなことは避けたいと言った。一度は不信任案に賛成票をと思ったが、やっぱりまだ国会議員でいたいし事を荒立てるのは止めておこう。

 まあ若手国会議員の胸の内はこんなもんだったのだろう。そこには今なお東日本大震災で辛い毎日を送っている被災者のことなど全くない。保身のためには信念(あればのことだが)に背いて平気で前言を翻すことなどなんとも思わない国会議員がいる。驚くことに若手議員ばかりでなく、日頃菅政権を批判していた中堅の民主党国会議員でさえも、菅首相の甘い言葉に翻弄されてしまった。

 不信任案が可決されて菅首相が衆院を解散したら被災地では大混乱が生じる、だから賛成してはならないという考えは不信任案の趣旨を履き違えている。

 これは後で述べるが、菅政権の平時での政治運営はもとより、東日本大震災と福島第一原発事故への対応能力が著しく劣っていることに起因して提出された不信任案である。

 大震災からもうすぐ3ヶ月である。例え未曾有の大震災であったにしろ、私たちの義捐金の多くがいまだ被災者に渡っていないということを聞くと、なにかせっかくの想いが棚上げされたようで、義捐金は被災者に直接渡したほうが気持の収まりが付いたのではと思う時がある。

 被災者の救済や原発事故の対応の拙さを自治体が、赤十字が、東電が、原子力安全保安院が、と言うが、もとを辿れば政権が弱いからだ。そのふらつく政権の足元を見ていろんなところがなめてかかっている構図が私には見える。馬も弱腰の騎手を見れば振り落とすという。

 未曾有の大惨事である。とにかく原発の収束に向って強引とも思える手段を使ってやっていれば、今頃は収束の段階にあったかもしれない。最初の段階で大きくボタンを掛け違えたのだ。悠長な判断が招いた結果だ。 

 特に福島第一原発事故では対応を誤れば、この後何十年何百年と影響があるかもしれないほど重要で最優先で取り組まねばならない事故なのに政権にその気迫が今も見られない。現に今までの対応で冷却水の注入経緯や放射能測定値の公表の有無、原発周辺の住民の避難方法などにおいて大きな混乱があった。

 未曾有の災害に遭って復興途中にある一国の有能なリーダーは、もし不信任が可決されたならば混乱を引き起こす解散など選択せずに、自らが身を引く冷静さを備えているものである。こともあろうに解散を脅しに使うなどとは許されることではない。

 菅首相の見苦しい面は、解散を脅しに使って統率をはかるという、日本人が古来から持ち合わせている伝統の「潔さ」から程遠い手法を使っていることだ。

 その狡猾さが今回の不信任案採決にも現れた。

 今回の逆転劇を「素晴らしい」と評価するコメンテーターがいた。
 菅首相が今回のシナリオを作ったのではなかろう。指南役が居る。彼らの役目は他人を欺く、そして身内も欺く術に長けていることだ。そして最後に国民を欺く。始末の悪いことに、そういう能力があれば原発事故を一日でも早く収束させることに使ってほしいのだが、それには発揮できないようだ。


 こうして私はキーボードで一文字一文字を入力している間にも、福島第一原発では放射性物質が自然界に放出されているのである。人間ばかりではなく、周辺の動植物にどれほどの影響があるか誰にも分からない。原発に接する海底では何が起こっているのか、放射線量はどうなのか、そこに生息している海産物は安全なのか。私たち国民にこれらの情報が殆ど入ってこない。

 昔、アメリカが太平洋で実施した核実験によって魚が汚染され、日本では「原子マグロ」と大騒ぎになったことがある。他の国が行なった放射生物質の海洋汚染に対して日本で起きた騒動は風評被害だと誰も言わなかった。

 小さな島国の日本である。世界地図で日本の福島を探すといい。そこで原発事故が起き、少なくとも3基の原子炉で核燃料のメルトダウンが生じて周辺に放射性物質が放出した。30km圏内の住民は避難した。このニュースを聞いた外国の人たちはどう思うだろう。

 たとえば日本と同じ島国のイギリスで原発事故が起きたと考える。私たちはイギリスへの観光やあるいはイギリスで作られた製品をどのように思うだろうか。
 日本政府は直ちにイギリスからの食品などの輸入に規制をかけるだろう。それを風評と言うだろうか。

 核に対する反応はどこの国でも似たようなものである。
 日本で起きたからと特別に敏感になっているわけではないのである。
 
 一部の情報では福島県浪江町で耳のないウサギが生まれたそうである。私は不安をあおっているわけではない。放射性物質の影響か否か、それもわからない。ただこういうことが報告されていることに目を背けないでもらいたい。事実私たちの身には今何も起きていない。しかし原発周辺の世代交代の早い動植物がどうなっているのかを知って、私たちの将来、あるいは子供、孫の将来を予測することは可能である。

 福島第一原発事故の対応を誤れば、東日本どころか日本全部が汚染されてしまい、日本で生産される食物はおろか、工業製品、日本近海で獲れた魚介類さえも輸出できなくなる怖れがある。それどころか日本人が外国に行くことも制限されることも考えられる。

 日いずる国といわれた美しい日本が、米国が昔行なった核実験で今でも放射能が検出されて立ち入りが制限されているアリューシャン列島のある島のように寒風吹きすさぶ死の島とならぬよう、すぐにでも手を打たねばならないのに、官邸で今回の不信任案否決にニヤニヤとした顔をしている閣僚を見ると、本当にこの人たちは日本という国を愛しているのかと疑問に思う。日本という国家がまかり間違えば消滅する可能性だってあるのだ。何百年か先に、この島を捨て、流浪の民となって世界各国を渡り歩かねばならないことだって考えられるのだ。

 放射性物質にそう神経質になることはありませんという政治家や学者がいても、彼らが原発の近くに家を構えて家族ともども生活していないのでは説得力はない。もちろん原発のトップの方々も。

 電気を必要とする場所に何故原発が一基も作られていないのか。

 私は今になって思う。

 福島第一原発で政府や東電が正しい対応をてきぱきと行なって、放射線量などの情報を適宜迅速に公開していたならば、未曾有の天災で生じた原発事故であったが資源のない日本の将来のためにはこれを教訓としてさらに安全な原発と共存していくほかに道はない、と国民は悟り、受け入れようとした空気が生まれたのではあるまいかと思うのである。

 現状はまさにその対極である。
 どう対応してよいかわからぬ政府と東電。そして二転三転の情報修正。それこそ手探りの状態で遅遅として進まぬ収束までの道のり。それは不信任案が否決された今となっては菅政権の花道となった。とすれば菅首相が任期を全うするまで収束などありえないのかと勘ぐりたくなる。

 政権の延命に原発事故の収束を使われるようではまともな対応は出来ないだろう。

 今一度言う。取り返しのつかない事態になる前に、もっと強力なリーダーシップを持った者が政権を担うべきだと私は思う。

 つい数時間前は不信任案に賛成するといきまいていた議員が反対票を恥ずかしげもなく係りの者に渡す。そんな中、不信任案に賛成票を投じた松木前農政政務官と横粂衆院議員の二人が除名処分となった。二人の行動は国民に分かりやすく、これを幼い、短絡的というならば国会議員に正義はいらないことになる。
 
 採決直前に変心された国会議員様、今更臍をかんでも後の祭り。