2010年1月29日金曜日

このごろのメディア報道の質(その4)

 小沢民主党幹事長の資金管理団体による政治資金規正法違反疑惑に関する報道で、25日付読売新聞夕刊が誤報し、翌朝刊で小さな訂正記事を載せたが、あたしはその訂正記事にも納得できない部分がある。

 それは訂正文中の「石川議員側関係者の取材に基づくものでした」という箇所である(この訂正記事全文はこちら)。

 すべての関係書類を東京地検特捜部に押収された石川議員側関係者から、読売新聞はどのような方法で裏献金を受け取ったといわれる日付や場所を特定する情報を入手したのか。普通に考えて、石川議員にとって明らかに不利と思われる情報が、石川議員側の関係者から直接得られたとは考えにくい。それとも関係者の顔色を読み取って記事化したものか。報道記事とはそういう不確かな発想で書くものか。

 現在、押収された石川議員の手帳を見ることができる「関係者」は東京地検特捜部の者しかいないわけだ。このことから石川議員の手帳に関する情報は特捜部の関係者以外に考えられないではないか。それでもなおかつ誤報の「情報源」は石川議員側関係者というのであれば、それが事実であると断定した「根拠」をぜひとも教えていただきたいものだ。

 読売新聞は28日朝刊に「陸山会事件 報道 『検察リーク』あり得ない」という記事を載せている(こちら参照)。

 この事件に関する書類はすべて東京地検特捜部に押収されているが、読売新聞は、検察リークに頼らなくとも、どのようにしたら具体的な情報を得られるか、秘術をもっているらしい。

 失敗やミスや誤報などは人間である限り、ゼロにすることはできない。いや技術の粋を集めた最新機器でさえ、たまに誤作動する。だからメディアの誤報にしてもそれを意味もなく、執拗に罵倒する気はないが、誤報によって大きな影響を及ぼしたと思われる事柄は、単なる訂正や謝罪で済むものとは思わない。それは意図的に誤報を流し、世論に影響を与えようとする確信犯的な部分がぬぐいきれないからである。

 小さな文字で「訂正文」を掲載して一時の恥をしのいでも、世論が変わり、民主党政権が潰れるならばこれほど簡単なことはない、と考える人間もいるだろう。

 今時の日本国は、新聞の一文字、テレビの一画面で右に左に揺れ動くうたかたのようだと、案じる最近のあたしであることよ。

2010年1月26日火曜日

このごろのメディア報道の質(その2)

 読売新聞1月26日付け朝刊は、25日の夕刊に載った「石川議員、手帳にホテル名」の見出しと記事の一部を取り消すという「訂正」記事を掲載した。
 その全文を以下に記す。

 「訂正」 
25日夕刊の「石川議員、手帳にホテル名」の記事で、「東京地検特捜部が押収した石川知裕衆院議員の手帳には、中堅ゼネコン『水谷建設』の元幹部らが同議員に5000万円を渡したとする2004年10月15日の欄に、授受の場所とされるホテル名が記されていた」とありますが、手帳は、04年ではなく、05年のものでした。ホテル名が記載されていた時期も同年4月でした。石川議員側関係者の取材に基づくものでした。記事と見出しの当該部分を取り消します。

 ひと月4000円近い購読料を払ってまで読んだ記事、それも今の政権を大きく左右するかも知れない事柄が、紙面の片隅にひっそりと、それこそ目立たぬように掲載された「訂正記事」で済むものか。思い込みか意図的かわからぬが、よくもまあこんな訂正記事で帳消しにしようとするものよ。この事件の根幹に関わるかもしれない重要なことを、前日の夕刊の15面に、これでもかというくらい大きな活字で「石川議員 手帳にホテル名」の見出しを載せておいて、翌朝には小さな活字で取り消す。まだ某電器会社の「リコール社告」の記事の文字の方が、大きく読みやすい。もちろんネットの記事もいち早く削除されて、影も形もありませぬ(検索ではサマリーの一部が読めるが・・)。だけどあたしの手元にはその夕刊がしっかり残っている。これはどんなことをしても消滅させることはできないだろう。

 この訂正記事の狡猾な点は、この情報が、「石川議員側関係者の取材に基づくものであった」と述べている点だ。そこまで情報源を明らかにするならば、前日の記事になぜ載せないのか。言外にわが社に責任はない、情報源が間違ったことを言った、と責任転嫁している。これは、昨年岐阜県の裏金問題で、某テレビ局が犯した虚偽の報道で、初期に謝罪した構図と全く同じだ。こういうことはキチンとした裏づけをとれば避けることができるのに、なぜかその鉄則が守られない。特に検察がらみの報道では、裏づけを取ることは「悪」という雰囲気さえ、報道関係者の間に漂っている。そういう雰囲気をかもし出す「記者クラブ」なんぞ無くしてしまえと思いたくもなる。

 訂正記事を載せてもそれで済むわけでなく、夕刊の記事をそのまま受け入れ、訂正記事に目を通すことのできなかった読者が少なからずいるだろう、という問題が残る。穿った見方をすれば、意図して事実と異なったことを派手な記事にすることもできる。そして訂正や謝罪は目立たぬように小さく・・・。世論を誘導するとはこういうことをいうのであろう。

 小沢幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件の報道に関して、その情報源を「関係者」と記す以外は頑固に秘匿している新聞社が、訂正記事になると急にその姿勢を崩す。25日の読売夕刊で「石川議員の手帳にホテル名」の記事における取材源については、あやふやな「関係者」と記す以外、それが特捜部なのか、石川容疑者の関係者なのか、何も触れていない。とすれば情報源がどこであろうと新聞記事にした以上、新聞社がその責を負うべきであろう。

 私はこの政治資金規正法違反の一連の報道について、このごろのメディア報道の質に大きな疑問をもっていると別のブログで書いた

 新聞などメディアの報道記事は真実が命だ。ましてや購読料や視聴料を取って流す報道情報には、より高度な質が求められるはずだ。思い込みや、ある意図をもって偏向記事を書いたり、報道することはその組織に致命的な欠陥があると思わねばなるまい。報道は社説や局の意向とは無関係の次元で、事実に即して忠実に伝えることが使命だろう。

 「きっこのブログ」では、偏向記事を書くような新聞の購読など止めたら精神的によろしいのでは、と述べているが、あたしは今のところそこまで思い切れない。

2010年1月21日木曜日

なりふり構わぬ東京地検特捜部

 小沢民党幹事長の資金管理団体による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件に関する新聞各社の報道は「おかしい」と思う次元を通り過ぎ、今やクレイジーそのものである。

 一部の新聞は、この東京地検特捜部のやり方に対し、民主党が対決姿勢を打ち出してきたことを「なりふり構わぬ」と表現している。だからあたしも使わしてもらった。東京地検特捜部に対して。

 新聞各社が「関係者によると」と称して事実としての結論も出ていない事件に対し、一方的な情報で紙面を埋め尽くすのであれば、その情報源を明確にすべきであろうとあたしは思う。新聞に限ったことではない。昨年、岐阜県の裏金問題に関し、某テレビ局が虚偽の報道をしたばかりだ。これは持ち込まれた情報の裏付けを十分に取らなかったことが原因だというが、今回の「関係者」からの情報は、裏付けを取らなくてもいいのであろうか。もしそうであれば、情報源だけでも明らかにする必要があるのではないか。とはいっても東京地検特捜部か担当弁護士のいずれかであろうと推測はできるが・・・。ならばなおさらのこと、情報源を明記してもなんらの不都合もないはずだ。でなければ、あたしたちは東京地検特捜部でも担当弁護士でもない、第三の怪しげな情報提供者を考えることになる。あの岐阜県の裏金問題で虚偽した人物と同じ様に。

 いまなお新聞各社などのメディアが「関係者」とぼやかした表現をしているのは、万が一事実でなかった場合の保険をかけているような、姑息な方法をとっているとしか思えない。いやそれは新聞社だけではない。東京地検特捜部が勇み足をした時のことも考慮したのであろう。
 
 テレビなどで、ある民主党員あるいはある自民党幹部、ある検察幹部などと称して、字幕だけで実情を語らせる場面があるが、あたしはフィクションとしてしかとらえていない。いわばテレビ局の代弁者だ。いまの小沢幹事長の政治資金規正法違反の報道でも似たようなものだ。こういうようなことを続ければ、後述するが再び「行き過ぎたマスコミ報道」と言われかねない事態が生じそうである。

 不可解なのは、国の根幹を揺るがせかねない国会の予算審議時期に、あたしたちの税金で組織立っている東京地検特捜部が「正義」と称して強制捜索や現職国会議員を含む3名を逮捕し、取調べをすることだ。あらかじめ狙ったようなこの一連の行動を不自然とみるのはあたしだけだろうか。特捜部の一挙一動に国民の税金が使われるその真実の捜査過程を、あたしたちが知りたいと思うのは当然のことだろう。

 この日本の有様を見て、ニューヨークタイムズ(電子版)は20日、「官僚機構の一部である東京地検特捜部が政治主導を目指す民主党に報復した」と述べている。そうなんだ、誰が見ても今回の東京地検特捜部の行動は、官から日本の政治を取り戻す政策をすすめる民主党への「報復」以外の何ものでもない。

 この尋常でない東京地検特捜部のこの事件に対する取り組みを肯定するものは、現在のところ石川知裕容疑者らに関する政治資金収支報告書の「虚偽記載」容疑だけである。それも東京地検特捜部と思われる「関係者」を通して新聞などで報道されたものだけで、当人らが直接あたしたちに語ったものではない。そしてなお特捜部は虚偽記載にいたった動機を、企業のヤミ献金と小沢幹事長を結びつける構図の答えとして、執拗に石川容疑者らを精神的肉体的に過酷な状態にして取り調べている。こういう環境下では、いかにタフな人間であろうと、足利事件で犯人にされた菅家氏と同じ様に、身に覚えのない「自白」をさせることは容易だろう。わずかな事実に骨を通し、肉をつけ、血を通らせて真実に装うことはお手のものだ。

 東京地検特捜部の執拗さはそれだけにとどまらず、小沢幹事長の聴取のほかに、彼の妻にも参考人聴取を要請したという。渦中の当人のみならず、家族にも手を伸ばし始めたことに不安を抱かぬ人間がいようか。まるで「お前が出てこなければ、お前の妻を引きずり出すまでだ」と脅しているようなものではないか。

 このことを報じるニュースを見て、あたしは「志布志事件」で鹿児島県警が自白の強要や長期拘留などの違法な取調べを行なったことを思い出す。結局は冤罪であったが、この取調べで捜査担当者は「(罪を)認めれば逮捕しない」とか「認めなければお前の家族全員まとめて逮捕してやるぞ」と脅されたという。精神的肉体的苦痛から逃れるため、身に覚えのない罪を認める供述調書にサインした者もいた→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6 

 1994年6月に長野県松本市で当時のオウム真理教が起こしたサリン散布事件では8名の方が亡くなった(2008年8月現在)→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 警察は第一通報者であった河野義行氏宅の家宅捜査を行い、さらに重要参考人として連日の取調べが行なわれた。この時のマスコミ報道の過熱ぶりは、今で言えば「ブログ炎上」といったものだった。河野氏は被害者でありながら警察やマスコミから事件の犯人であるかのような取り扱いを受けた→(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E7%BE%A9%E8%A1%8C)。後日、長野県警本部長は河野氏に謝罪し、一部のマスコミは当時の行き過ぎた報道について謝罪をした。

 足利事件(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6)では法を逸脱した過酷な刑事の取調べに「自白」させられた菅家氏は、限りなく冤罪に等しいと判断されて釈放された後「刑事、検察、裁判官を許す気になれない」といっている。おりしも本日(21日)、足利事件の再審が宇都宮地裁で行われている。

 冤罪事件をネットで調べればごまんとヒットするこの時代に、あたしたちは、司法に携わる者が行なうことはすべて正義だという先入観を今こそ取り去るべきだと思うのである。もちろんあたしたちが安心、安全に暮らすために、法というものは何よりも尊重されなければならないものだが、それは万人に対し公平、平等の前提があってこそだ。「江川紹子ジャーナル」にそれこそまっとうなことが書かれている→(http://www.egawashoko.com/c006/000315.html

 「虚偽記載」で、一方は修正報告や何がしかの罰金で幕引きとなり、他方では3人も逮捕される不条理が、司法の中でも堂々とまかり通る世の中になってきていることをあたしは恐れる。

2010年1月18日月曜日

平沼赳夫氏の発言は明らかな人種差別

 平沼赳夫元経済産業相が17日、岡山市で開いた政治資金パーティーの席で政府の事業仕分けを批判し、仕分け人を務めた蓮舫参院議員について「元々日本人じゃない」と発言した。

 蓮舫議員は台湾人の父と日本人の母との間に生まれ、85年に日本国籍を取得したれっきとした日本人である。おのれの政治信条にそぐわないからといって、その人物の出生を根拠に非難する国会議員が今だに存在しようとは夢にも思わなかった。このような尺度で他人を判断するのであれば、オバマ大統領に対してはもっと痛烈な人種差別的発言をしたに違いない。

 平沼赳夫氏は、先の小泉政権下では一貫して郵政民営化法案に反対して、離党戒告処分となった。同じくその法案に反対した他の国会議員が厳しい復党条件をのんで自民党に復党したのに対し、ただひとり初期の信念を貫いた国会議員でもあった。この点であたしは平沼赳夫氏の生き方も国会議員としてまっとうなものであると評価していたのであったが・・・。

 今回の平沼赳夫氏の発言は、感情が高まってとか相手との言葉の応酬の最中になされたものではないのは明らかだ。自分との考えの違いを、相手の血筋や国籍、職種などでもって批判するのであれば、彼の発言は「天に唾するものである」というに他ならない。なぜなら、日本民族(一部の人たちは大和民族と言っているが)は降って湧いたかのようにこの島国日本に突然誕生したのではない。もちろん神話としてそのように語り継げられるのはいっこうに構わないが、現実として「キャンペーンガールが帰化して」などと中傷に近い言葉で語られるならば、この事については科学的に反論する必要がある。

 日本人は人類学的にモンゴロイドであり、その源は朝鮮半島や山東半島からの北方渡来ルート、南西諸島や東南アジア、インドなどからの南方渡来ルートといわれているから、日本人と言ってももとを質せば我々は連邦議員とルーツは同じである。そして全人類のルーツはアフリカだというのは定説になっているので、ルーツを根拠に差別をすることは乱暴なやり方だと知るべきだ。

 どういう国の生まれであろうとそれを理由に相手を蔑むことは一番卑怯なことだということをあたしは強く言いたい。国籍や血筋や容貌は本人のせいではないのだ。あたしのこの考えはあたしが幼い頃に体験した以下のことで培われたものだ。

 あたしの母親は、旧満州の旅順というところであたしを生んでくれた。日本の敗戦情報がこの地に住む日本人家族にもたらされる前に、旧日本軍の上級関係者とその家族は事前に逃げ去り、残されたのは開拓民としてこの地に送り込まれた一般人である。まわりの中国人や朝鮮の人たちの態度がおかしいと感じ始めたある早朝、突然ロシア兵が軍用車両と共に押し寄せ、各家庭の玄関をぶち壊して、あたしたちから時計や靴、洋服などを有無を言わさずひったくっていった。日本の紙幣は紙くず同然だと悟ったか、持ち去ることはしなかった。反抗的な態度で殴打される日本人はいたが、連行されるというようなことはなかった。ただし、激しく抵抗したり乱暴された人たちの中には殺されたり、自害した人もいた。そういう中で、ある中国人は年頃の日本人の娘を預かってくれたり、旧日本軍に関係していた家族を用心のため匿ってくれた。また子沢山の日本人家族はロシア軍の追跡から逃れるために、足手まといになる(何という表現か、しかし当時は現実として言われてきた)わが子を親しい中国人に預けてきた。すべてとは言わないが、中国人ばかりでなく、朝鮮の人たちも同じようにあたしたちに救いの手を差し延べてくれたのである。

 あたしの父親は、当時あたしが最も嫌いだった憲兵の仕事をやっていた。大陸に渡った成り行きで、このような仕事をしなければならない父はいつも悔やんでいた。憲兵の下級クラスに属していた父にロシア軍の襲来は事前に知らされなかった。ロシア軍が攻めてきた時、家族を守るために、尾籠な表現ではあるが、父は血の小便が出るほど苦労して、家族全員の名前をすべて変えた6枚の「引揚許可通知書」を手に入れた。敗戦から2年後、やせ細ったガリガリのあたしたち一家は幸い1人も死亡することなく、舞鶴港に帰ることができた。その時乗った引き揚げ船は興安丸だった。故郷に帰り、そこで初めてあたしたちの名前が正しいものに書き換えられた。

 今、あたしの手元には黄色く変色した「ИЗBEIIIEHИE」とロシア文字で書かれた6枚の「引揚許可通知書」がある。この書類を手に入れるため、父の苦労はさておき、中国人や朝鮮の人たちから大きな危険を伴う手助けをしてもらったことをあたしは忘れることができない。

2010年1月15日金曜日

小沢幹事長の逆襲はあるか

 小沢民主党幹事長の資金管理団体をめぐる疑惑で、東京地検特捜部が関連事務所の強制捜査に踏み切ったことは、あたしの予想を多少なりとも裏切るものであった。というのも通常国会の召集を目前に控えたこの時期に、特捜部の参考人聴取に応じないどころか、マスコミへのサービスとして名人と囲碁を楽しんだ様子が放映されたといっても、その腹いせに強制捜査とは少々突飛な感がしないでもないからである。特捜部が、なにがなんでもこの「悪人」をしょっ引くんだという、あらかじめ作られたストーリに沿って動いているような気もするのである。そのせいかテレビ画面に映る、強制捜査のために関連施設に次々と入る特捜部の面々は、高揚したいかにも演技がかった風体である。これはちょうど10ヶ月前の小沢民主党代表(当時)の政治団体が西松建設の不法献金を受け取った容疑で、特捜部が強制捜査をした雰囲気とそっくりである。この時は当時の与党自民党が予算案の審議で苦戦をしいられ、民主党が攻勢をかけていた時である。民主党の攻勢を「そぐ」ためのぴったしの時期と人物だったのである。

 あたしが東京地検特捜部が強制捜査をしたという事を知って最初に思ったことは、この時期にこのまま特捜部が国民の理解を超えて(特捜部は小沢幹事長側が多額の不明朗なカネをあちこちに移動させており、その源はゼネコンからの不法献金かもしれない、という情報をマスコミにさかんに流して世論を変えようとしているが)暴走にも近い行動をとれば、小沢幹事長を斟酌して千葉景子法相の「指揮権発動」もありうるかもしれない、ということである。現に千葉法相は就任会見の席上で「国民の視点に立って、検察の暴走をチェックするという点から、きちっと対処していくべき」と発言し、「一般論として指揮権というのはあるわけで、(発動が)絶対ないというわけではない」と含みを持たせた。

 法務大臣の指揮権発動は昭和29年の「造船疑獄」の時にあった。当時の犬養健法相が「重要法案の審議」を理由に、当時の与党・自由党幹事長の佐藤栄作氏を収賄容疑で逮捕請求する許可を求めた検事総長に「逮捕請求を延期するよう」指示したものである。

 「リクルート事件」でも法相の指揮権発動が取りざたされる場面もあったというが、「造船疑獄」以来60年近く使われなかった「指揮権発動」が、今回東京地検特捜部の出方によってはありうるかもしれない、とあたしはひそかに思う。政権交代という大きな節目を乗り越えた鳩山政権にとって「過去に例がない」という言葉は、たとえどんな政策を進めようとも「政権交代」という名の下には何の障害にもならないからである。「造船疑獄」で一度発動されたものであるならばなおさらだ。

 とはいっても国民の支持を得られない「指揮権発動」は考えられない。そこで小沢幹事長が名古屋で「国民も理解してくれるはずだ。だからこそ、政権を我々に与えてくれたのではないか」と発言したのは、国民は我々の味方だと検察に訴えたかったのかもしれない。

 12日の小沢幹事長の記者会見が「ふざけた」、「国民を愚弄した」会見などと自民党の幹部や一部のマスコミが言っているが、あの石川知裕元秘書の金沢氏(下記詳細)と同じような発言内容を期待していたとは思えない。それでは自民党の幹部が不祥事を起こして記者会見した時に、意味もなく何度も頭を下げ続けるハッピーバードのようなことを期待していたのか。特捜部の結論が出ていない今の時期に、むやみに頭を下げる小沢幹事長ではないことを百も承知で批判する姿勢は、新聞紙面の活字を埋めるだけの非生産的な反応だ。

 小沢幹事長の資金管理団体をめぐる疑惑で、東京地検特捜部がこれほど執拗(あたしにはそう感じる)なのはなぜか。西松建設に関係するものだけに限ってみても、自民党の二階堂俊博元経済産業相や尾身幸次元財相、森喜朗元首相、加納時男国土交通副大臣、山口俊一首相補佐官らに疑惑があるが、それらはいずれもうやむやになったか幕引きしてしまった。そしてこともあろうに当時の自民党漆間官房副長官はこの件に関し、「自民党側は立件できない」と捜査の見通しについて発言した。そして現実にほぼその通りになっている。元警察庁長官のこの確信犯的な発言は西松建設に関する捜査の方向を暗に指示した、いわゆる形を変えた「指揮権発動」だったのではないかとあたしは思っている。

 このように西松建設に関する東京地検特捜部の捜査は、特定の政党だけに厳しい目を向ける、いわばダブルスタンダードに従って進められてきたようにも感じる。だから今回の強制捜査についても、あたしは素直に受け入れられない部分がある。

 追い詰められた政権が、むやみに検察に不当に介入する指揮権を発動したら国民が許さないだろうし、鳩山政権も危うくなる。さらにいっこうに説明責任を果たさない小沢幹事長と、どうしてこのような秘書を雇っていたのかと理解に苦しむ人間すなわち石川知裕衆院議員の元秘書金沢敬氏の事であるが、その人物が検察の中だけで「証言」するならともかく、有名人気取りでマスコミや野党の前でペラペラと「証言」したことは真偽はともかく、視聴者の興味を大いに誘って、小沢氏は圧倒的に形勢不利である。特捜部は世論の変化を読み取って一気に事件の解明をしようとしてくるだろう。

 小沢幹事長の長年の夢(どういったものかあたしには具体的につかめないが)がようやく実現しようとする時に、小沢氏が簡単に「白旗をあげる」とは思えない。もしそうなれば鳩山政権どころか、親小沢派であろうとそうでなかろうと民主党の受けるダメージはあまりにも大きく、22年度予算案の成立も危うくなる。現在、政権の受け皿となる政党が民主党以外にない以上、このことは極端にいえば日本の民主政治の終焉を意味する。

 「指揮権発動」の要件のひとつに、「重要法案の審議」があることは先に述べた。「造船疑獄」ではこれが発動の理由だったが、後になってこの理由付けは弱かったといわれている。通常国会が始まれば国会議員の不逮捕特権が生じるが、もし今後石川議員が逮捕され、小沢幹事長までその流れが行きそうになった時、「政治とカネ」の徹底解明のためと称して動く検察と、22年度予算案の審議・成立のいずれが国家のために重要か、それによって緊急避難的に「指揮権発動」が行使されるか否かが決まりそうに思える。

2010年1月8日金曜日

菅財務大臣誕生で鳩山政権は持ち直すか

 昨年末から正月にかけて激増していた鳩山内閣に対する国民の批判的な声が、今回の菅副総理の財務大臣就任によって微妙に変化してきたように感じる。

 頻繁に流される菅財務大臣の就任を伝えるニュースで、野党時代の菅氏の官僚に対する強烈な対決姿勢を再びあたしに思い起こさせてくれた。それはあの「エイズ問題」で厚生省の役人が存在しないと言い張っていた重要な資料を当時の菅厚生大臣が見つけ出し、霞ヶ関の役人がいかに大うそつきであるかを証明した記念すべき場面である。その菅氏が財務省という官庁の中の官庁といわれる組織のトップに就くことに、少しも期待をせずにいるというわけにはいかない。これは民主党が政策の基幹としている「官から政治主導へ」の転換を強力に推し進めるきっかけになるのではないか、とあたしはひそかに思う。

 迅速な決断を下さないとの定評がある鳩山首相にあって、今回即座に財務大臣の後任に菅副総理を決めたことは評価すべきことだと思う。藤井前財務大臣が旧大蔵省出身の財務関係の重鎮で、予算編成にあたってその手腕に多くを委ねざる得なかったとしても、あたしには藤井氏にまとわりつく自民党的な体臭がどうしても漂ってきて、記者会見の席上で藤井氏が発言するとバックに見える民主党のシンボルマークが自民党のそれに変化するのである。この時あたしは本当に政権交代したのだろうかとヘンな感覚に陥ることがある。

 小さな島国ニッポンの、それもたかが財務大臣の交代劇で、鳩山政権が抱える多くの問題が解決するわけでもないが、政権にとって悪い材料ではない。また今まで開店休業状態と揶揄された国家戦略室の長であった菅氏が思い切り暴れまくる場をもらったともいえそう。それも今後2~3ヶ月もスポットライトが当てられ続ける華やかなステージである。否が応でも士気は高まるではないか。重責の財務大臣になったことで彼の手腕が以前のように、いやそれにも優ることを望むあたしみたいな国民は少しはいるだろう。

 鳩山首相が財務大臣に菅副総理をあてがったことで、一時的に鳩山首相に対する国民の批判は和らぐかもしれない。これから2~3ヶ月、通常国会での予算審議を菅財務大臣が無難にこなすとはとても思えないが、反官僚を旗印に役人との対決姿勢を見せ、国民の支持をバックに乗り切ることは可能である。

 菅財務大臣が就任早々「もう少し円安がいい」と確信犯的に発言したことは、彼の為替に関する浅学を露呈したのではなく、自分の発言の重さはどの程度かを確かめたのではないか、とあたしは思っている。

 今回の菅財務大臣の誕生で鳩山政権に対する風当たりは少しは和らぎそうかと思いきや、これから通常国会が開会されて、すべての予算が成立するまでの間に危惧されることはやはり「政治とカネ」の問題である。鳩山首相に関して言えば、もし母親が国会で証人喚問されるような事態になれば、鳩山首相の退陣のおそれもあるだろう。その場合、菅財務大臣が首相に就く可能性はあるがこれはもう一方の小沢幹事長の「政治とカネ」の問題が絡んでくる。検察がどこまで本気でやってくるか、それは鳩山政権支持率と民主党支持率によって影響されるのは避けられない。共に限りない黒に落ち着くとしても、両者共に放逐されるような事態は誰もが避けたいと思うだろうし、その場合は片方ををスケープゴートとして差し出す代わりに、他方を見逃してもらう方法を考えるかもしれない。

 政治の世界はかくも非情で容赦ないものである。そういう中で国民の生活を守り、国の発展を図らなければならないのに、日本には生半可な気持ちでこれに関わろうとする政治家が多い。政治に対して真摯であるかどうかは、人に優しいとか、正直だとかという面だけで判断を下すものではない。

 今までの官僚主導による日本の政治のゆがみを直すという点からみれば、民主党の進んでいる方向は大きくズレてはいないと思うが、そのことに沿って強烈なパワーを発揮することのできる政治家が数えるほどしかいないのが事実。
 
 ダッチロールする鳩山政権が今年どのような活躍をしてくれるか。去年に引き続き更に失望を味わさせてくれるのか。今回の財務大臣の決定に珍しくまともな動きを見せてくれただけに、懲りもせず一縷の望みを託す気持ちになるわけである。
 

2010年1月7日木曜日

全身透視スキャナーについて思うこと

 昨年12月の米機爆破テロ未遂事件を受け、テロ対策のために各国の主要空港では全身が透視できるスキャナーの積極的な導入が計画されはじめた。

 全身透視スキャナーは衣服を透過して体を立体的に映し出し、武器や爆発物を探知するもので、従来の金属探知機や平面的なエックス線透過装置と違って、武器や爆発物を見つけ出す能力は格段にアップするという。医療業界ではすでに使われているMRI(核磁気共鳴影像法、Magnetic Resonance Imaging)と同じようなもんだ。ミリ波という電磁波を照射して乗客の3次元映像を得ることができる。今回主要空港に設置される予定の全身透視スキャナーは、理屈としては電磁波の波長や強さを調整して衣服だけを映し出したり、体の表面だけを表示したり、臓器だけを映すことも可能である。人間の皮膚表面からのエネルギーの違いを利用することから、ミリ波の波長や強さの調整は、体表面を効果的に映し出すようその周辺に限定されているとは思うが、乗客の体型や衣服の種類に合わせて波長や強さの微妙な調整が必要であろう。この機能の使い方によっては、乗客の生々しい裸体を直接見るような鮮明な画像が得られてしまうことがプライバシーの問題となっているのである。
詳細は→(http://news.livedoor.com/article/detail/4534608/)

 この全身透視スキャナーは、すでにイスラエル側のガザ地区検問所で使用されている。この地域は紛争が多発している所だから、ガザ地区に出入りする者の衣服の下に武器や爆発物を隠していないかを調べる必要性があり、そのためにこの装置が活用されるのは納得できる。

 一時期、衣服が透けて撮れるカメラが発売されたことがあった。これで夏のビーチで水着姿の女性を写真に撮って問題になったが、これなどは使用目的がなんの公益性も持たない好色カメラそのものだったから短期間で消滅した。この時利用したのは衣服を通過しやすい波長の赤外線を利用したみたいだ。この技術を使って今回のようなテロ対策用のカメラを開発すればよかったのに、購買層を好色者に限定したのがまずかったんだね。

 このことで思うのは、たとえ衣服を身に付けていても体型をそのまま素直に映し出す波長の光線(例えば赤外線など)は何時でもどこでも存在しているのを人間は忘れているということ。ためしにリモコンの発信源のランプを携帯のカメラのディスプレイに映し出して、リモコンのボタンを押すとランプが光るのがわかる。肉眼では見えないけどね。おそらく衣服の下にリモコンを隠しても携帯のカメラではわかるのじゃないかな。リモコンは赤外線で本体をコントロールしているが、赤外線も電磁波の一種だからリモコンの光源を使って透視することもできそう。しばしばデジカメやカメラ付き携帯で写した写真が心霊写真のようだったという声を聞くが、赤外線が体を透過して後ろの風景が薄く映った可能性もあるだろう。

 昨年末の米機爆破テロ未遂事件では、犯人が足に薄く巻きつけた爆薬を別の液体状薬剤と混合することによって爆破しようとしたらしいが、このような方法で持ち込まれると、従来のボディーチェックやエックス線透過型のセキュリティーチェックで発見することは困難だ。しかし、この全身透視スキャナーを使えば簡単に見つけ出すことができるという。テロによる航空機爆破の悲惨さを思えば、露出狂はさておくとしても、若い肉体であろうとご老体であろうと別室の老(?)検査官に見られることくらい「何てことはない」と思った方がいいのかもしれない、とあたしは考える。

2010年1月2日土曜日

月から見た日食

 この1月1日の未明に日本の各地で部分月食が起き、天気の良い地方では観測できたそうな。初日の出と部分月食の両方を見られるなんてめったに経験できないから、あたしもひとりの経験者になるべく挑戦した。元日の早朝それも寒気が厳しい時だったにもかかわらず、早起きして精一杯努力したけど、月食の見られる西の空は一面の雲、東の空はそれにもまして憎いほど厚い雲が垂れ込めて初日の出も拝めず、「今年こそ明るい年を」という願望が打ち砕かれることを予見させる結果に、傷心の早朝散歩となったのである。

 ところで今回を含め月食の写真はいつも影がぼんやりして、迫力に欠けていてあまり面白くないと思うのはあたしだけだろうか。去年大騒ぎした皆既日食で、くっきりした月の影が太陽を徐々に覆っていく過程は神秘的でかつ芸術的。このことが多くの人を魅了する原因だと思うけど、月食の影はいつもボカシをかけたようだ。だから日食と比べ、非常に珍しい元日の月食であるのにもかかわらず、もうひとつ盛り上がらなかった原因かもしれない。

 どうして日食や月食が起こるのかについて説明を要するブログの読者はいないと思うのでこの辺は省略するが、日食の月の影は鮮明で、月食の地球の影がクリアでないことを納得できる人は少ないと思う。簡単に言えば、光源である太陽があまりにも大きいから地球の影にハーフトーンの部分ができるわけ。地球の影を映す天体は月しかないので、月食は地球の影の縁の部分がハーフトーンになっていて鮮明でなくなる。だから月食の地球の影の縁はいつもぼんやりしている。なんだか去年の大晦日以来寝不足気味のあたしの頭脳みたい。

 もし、月に住んでいる人(以下月人)がいるとしたら、この2010年1月1日には壮大な日食を見ることができたはず。地球の影のハーフトーンの部分にいた人は部分日食を、影の中心近くにいた人は皆既日食を経験したのは間違いない。

 地球で日食が起きるということは、月人が「地球食」を見られるということ。この場合も「地球に映る月の影」にはボカシがしっかり入っているはず。だから月人も「地球食」にはあまり興味を示さないだろうね。

 あの月周回衛星「かぐや」が健在であったならば、この元日の大スペクタクル「月で見る日食」を地球で見られたのに本当に残念と言うほかない。

2010年1月1日金曜日

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      2010年 元旦