2010年4月25日日曜日

米政府は鳩山政権を見限った

 25日に沖縄で普天間基地の県内移設に反対する大規模な会が開かれる前の絶妙なタイミングで、米紙ワシントン・ポストが「岡田外相がルース駐日米大使に現行案の主要部分を受け入れる意向を示した」と報道したが、このことが事実であれば、すでに米政府が鳩山政権を完全に見限ったということになる。

 米政府にとって、稚拙な政治運営をする同盟国の鳩山政権がこのままずるずると生き延びれば、いつ日米同盟に取り返しのつかない事態が生じるかもしれないという危機感があったからだろう。それは、日米2国間の問題だけでなく、アメリカの世界防衛戦略にも影響を及ぼしかねないからだ。

 普天間基地移設に関して、現行案が最適だとしてきた米政府が、わざわざ沖縄県民の反感を増大するような時期に合わせて、上述のような情報を流すことを容認したとすれば、現在の普天間基地からの移設はあきらめてしまったともいえる。米政府にとって、移設しようとしまいと戦略上大きな影響はないわけである。日本とりわけ沖縄県民だけが深手を負ってしまうのである。

 自ら「愚かな総理」と認めた鳩山首相は、その時点で辞任すべきであったとあたしは思う。一体どこの国トップが「私は愚か」などと言うか。たとえ首をはねられる直前だとしても、国の最高権力者は威厳を保つべきだ。それが国民に対する責務であり、国の尊厳を保つことになるのだ。

 鳩山首相は日本という国に泥を塗ったのだ。

 国会が会期中であろうと、未提出の法案が山積していようと、一億余の日本国民を引っ張っていかねばならぬ国のトップが弱音を吐いた時点で、この内閣は死んだも同然である。

 この死に体内閣がズルズルと居座って、形ばかりのおざなりな政治をしていたら、日本という国はつぶれてしまう。普天間基地移設問題、高速道路の新料金や子ども手当てなどに限らず、そのほかの細かいところでも政府と民主党あるいは閣僚間にゴタゴタを生じている。このことが諸外国に与える影響も見逃せない。国際的にも日本政府への信用が無くなり、日本の国債の信用度が下がり、ギリシャの二の舞では済まなくなってしまう。ギリシャはEUが助けてくれるが、損得ぬきで日本に手を差しのべてくれる国はどこがあろうか。

 あたしはここで提案する。民主党は鳩山内閣の不信任案を提出し、ポスト鳩山としてサプライズな民主党代表を選出すべきだ。事業仕分け第二弾といった安易な手法で起死回生を狙うには余りにも深手を負いすぎた。これに似たシナリオはずっと前に見たことがあるが、その時関与した中心人物は排除した方が良かろう。

 日本の存亡がかかった行動を誰がやってくれるか。時期を失すれば悔やんでも悔やみきれない。

2010年4月16日金曜日

目を向けたい郵便不正事件公判

 普天間基地移設問題における鳩山首相の迷走ぶりも気になるが、あの郵政不正事件の公判が今大阪地裁で開かれており、こちらの方も十分に目を向けたい。この公判のニュースはどういうわけか特定のローカル局を除いては、テレビでほとんど報じられていない。それほど価値の無いものかと思われても癪に障るから、一部ポイントだけを述べてみたい。

 この事件の内容はネットで調べればわかる事だから、そのことについて今更述べようと思わない。重要なのは、この事件で虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長・村木厚子被告が、検察の作文で冤罪に仕立て上げられようとしたことだ。偽の証明書が発行されたということは事実と思われるから、このことについては疑義の余地は無い。しかしこの事件に全く関与していないと一貫して主張している村木被告が、あたかもこの事件の中心人物のような扱いで報じられ、そして起訴されたことに大きな疑問をあたしは感じる。

 検察が描いていた事件の構図が、今までの公判における多くの証言で覆され、証人の幾人かは「村木被告は冤罪」「壮大な虚構」とまで言っている。村木被告は15日の公判で「ワナにはめられた感じ」と述べた。検察側は取り調べの段階で得た供述の重要性を押し出してきているようだが、その供述にも疑惑がある。一部の情報では、元傷害保健福祉部長の供述について、小泉純一郎元首相の秘書官飯島勲氏に相談したというのである。また小泉元首相あるいは飯島勲氏のいずれかが「日本郵政公社に口ききをした」との報道(毎日放送)もあり、しかしそれは一瞬にして削除された、という。

 ことほどさように、重要な情報をマスコミが掴んだのはいいが、得体の知れない大きな圧力で報道が規制されるとあっては、民主国家とは言えまい。民主国家の面をして、闇の組織が支配する国ほど扱いにくいものはない。この魑魅魍魎とした郵政不正事件の公判を、多くのメディアが積極的に報道したがらない何かがあるのかもしれない。

 それにしても、検察に勾留され脅されて、作文された供述書にそそくさとサインして保釈を欲した大の男たちに対し、村木被告が罪状を否認するという態度を最後まで貫いたことは、日本男子の価値を極端に下げることにもなったなあ。

2010年4月10日土曜日

高速道路新料金の評価はまだら模様?

 6月から実施される高速道路の新料金が9日、発表された。このことを報じる新聞は、「実質値上げ」「週末ドライバー不満」「歓迎より不安」などの見出しを多く掲げた。これらの新聞は、民主党が掲げた高速道路無料化に批判的な意見を数多く載せたにも関わらず、その当時と相反する記事を載せて、あいも変わらず幼稚なあまのじゃく的性格を発揮している。

 無料化に批判的であったのは何も国民だけではない。昨年の各新聞の社説には「『高速道路料金』無料化は合点がいかぬ」(朝日2009年8月24日)、「高速道路無料化、素朴な疑問に答えよ」(東京新聞2009年9月23日)、「高速道路無料化、地元の足が奪われかねない」(読売2009年11月4日)など大部分が無料化に批判的な記事であった。正直あたしも休日の高速道路1000円ポッキリを体験して、無料化は現実的でないと思ったものだ。

 で、今回の高速道路新料金について、無料化に批判的であった新聞がまたまた批判するのはどうしてか。無料化の案でないから批判するに当たらないはずだ。第一、今の閣僚の能力からしてマスコミが期待する満点の案が出くるはずが無く、あたしは将来の高速道路無料化を目指す政権が作成した過渡的な案としてはこんなもんだろうと思った。

 条件によって現行の料金より多少高くなることもあるだろうが、部分的なことを捉えてそれがすべてのような報道をするマスコミの姿勢は相変わらずだ。そんなことより、今回の料金発表について本四フェリー会社の声がマスコミにあまり反映されないのはどうしてだろう。昨年3月以来、本四架橋の通行料金が休日割引で安くなって、経営難に陥ったフェリー会社の映像をさかんに流したマスコミはどこにいる。無料化すれば高速道路の渋滞が今以上に激しくなるなどの理由で、無料化に反対の意見が70%近くあったという世論調査はどうした。

 流通関係でどうしても長距離高速道路を利用せざるを得ない人たちの声を聞かず、たかがレジャーのために繰り出すドライバーの不満の声だけを聞いて、したり顔で「ここにも不満の声があります」というアナウンサーをはじめ、今回の新料金に対して批判的なマスコミは、じゃ一体どういうものが満点の料金制度と思っているのだろう。

 今度の高速道路の新料金制度は11年3月までの試行案である。その結果を見ながら見直しをするというから拙速な批判はあたらない。

 渋滞が起こるから、地球温暖化対策に逆行するから、競合交通機関が衰退するからなどの理由で高速道路の無料化は反対と叫んでおきながら、平日休日の区別を無くし、ETCの有無も問わずと今までより高速道路が利用しやすくなるにもかかわらず、1000円ポッキリと比べれば少し高めの新料金制度が発表されると、とたんに反対の声をあげるのはつじつまが合わないのではないかと思う。

 この鳩山政権下の国土交通省で、この高速道路新料金体制はでき過ぎだと思うのはあたしだけだろうか。この政権が新制度を運用していろいろと出てくるであろうトラブルをどの程度予知して、どのように処理するか、あたしはそっちの方に興味がある。子ども手当てのように数の論理で国会内で決まってしまい、手当てを一方的に与えるものは国民の間に不満の生じようがない。ところが高速道路の料金体制は利害が直接国民に及ぶことだ。政権担当能力を測る絶好の材料ではないか。

 今はどんな山奥に行っても、真っ白なガードレールと車の影も見当たらぬ立派なアスファルト道路がある。昭和2,30年ごろの日本の道路と比べると隔世の感がある。このことで今までの道路行政のすべてが正しかったとは言わないが、一定の役割を果たしたことは確かだ。だからといって予算を闇雲に高速道路につぎ込む政策は、多くの利権を生み出す元凶となっている。民主党が高速道路の無料化を唱えたのも、その利権を少しでも無くすためだと聞いている。ここに目を向けないと、無料化すると渋滞が激しくなるとか、公共交通機関が衰退するなど目先のことに気をとられて、問題の本質を見失ってしまう。こういう利権が無くなれば、無料化であろうとそうでなかろうと国の進む方向に大した影響はないものである。

 残念ながらは鳩山政権は政治主導を目指したものの、いまや足元を見られて官僚に完全に取り込まれている。おそらく今度の高速道路新料金も原案はすべて官僚が作ったものであろう。国土交通大臣の意向がどれほど反映されているのか知りようがないが、官僚たちがこの案を発表することによるマスコミや国民の反応を作成段階ですべて織り込んでいたのは間違いないだろう。大臣に従順に見せかけて、この新料金制度に対するマスコミや国民の批判を鳩山政権に向けさせることはお手のものだ。こういう理由からあたしは、官僚に完全に取り込まれた大臣が発表した案にしては上出来だといっているのである。

 良くも悪くも民主党のマニフェストの一部の骨組みらしきものがはじめて出てきた。これをステップにして高速道路無料化に突き進むか、世論を意識して有料の一部手直しをするか、どちらにしても政権能力がないと世論はそっぽを向いてしまうから、5月末からこの新料金制度が実施される6月初は鳩山政権の正念場だ。

2010年4月2日金曜日

若林元農相議員辞職の意味するもの

 若林正俊・元農相が他人の投票ボタンを代わりに押した責任をとり、2日参院議長に議員辞職願を提出した。参院は同日この辞職願を受理した。

 あたしはこのことを知って、日本人の倫理観は堕ちるところまで堕ちたな、と思った。若林元農相は、31日の本会議で行なわれた計10件の採決すべてにおいて、青木幹雄前参院議員会長の投票ボタンを代わりに押したと言っている。本人は「魔が差した」とその理由を述べているが、そんな単純な理由でこのことを過去の出来事とするわけにはいかないのだ。その重大さは本人が一番良くわかっていると思う。「魔が差した」と判断できる精神状態であるならば、なぜその時に自分を律することができなかったのか。思いとどまるチャンスは10回もあったのだ。こうなると確信犯の疑いも出てくる。問題になって初めて犯したことの重大さに気づく、というのはおそらく見せかけだ。だからこそ間髪をいれずに辞職願を出したのだ。しかしそれで罪がなくなるわけではない。人生の末路に差し掛かった者が、この一件でさらに重荷を背負ったことになる。元外務事務次官の故村田良平氏は、日米間の密約について積年の思いを吐露し、人生の最後に本当の人間としてこの世を去った。若林氏が辞職しようとどうしようと、今回の件によってもたらされる悪影響は、白地に染み付いた血の様に取り去ることができないのだ。

 あたしにはもう一つわからないことがある。重要な採決の時に、なぜ青木幹雄前参院議員会長が席を外したかということだ。体調でも悪かったのであろうか。

 参議院で押しボタン式投票が取り入れられたのは平成10年からだ。この導入時点で今回のような「代押し」があるとは考えもしなかったろう。それほどこの押しボタン式投票は議員の信頼の上に成り立って、初めて正しい運用がなされるものだ。

 若林元農相の行いはこれを完全に覆すもので、これから押しボタン式投票が行なわれる際には議員一人ひとりの行動をチェックする必要がでてきた。もしくは押しボタン装置に議員の個々の認証システムを取り入れる必要があるかもしれない。マスコミは若林元農相の辞職ばかりを報道しているが、彼は次回の参院選挙には立候補せず、引退する予定だった。こういう人間を追いかけてマスコミで報道する価値も無い。問題は、神をも恐れぬこのような行為を国会議員がさらりとやってのけて、「魔が差した」「議員辞めます」という言葉だけで、社会が一件落着とすることだ。

 人は他人が見ていないところで、利己的な行動を平気でする。説法を説く僧だって例外ではない。原発に反対する者が家に帰ると、平気であちこちの電化製品のスイッチを入れる。高速道路の反対を唱えている者が毎週土日に高速道路を使って遠方まで家族旅行に行く。地球の温暖化を憂う者が家庭では灯油を惜しみなく使う。

 看護師が仕事の上のうっぷんを晴らすため、入院患者の肋骨を折った事件があったが、高齢の入院患者はおそらくこの看護師を信じて看護を受けていただろう。店頭に並ぶ季節の食材である国産タケノコが中国産だったとは消費者は思いもしなかっただろう。牛肉に豚脂を混ぜて高級牛肉に偽装して高値で販売しているのを、あたしたちは唯一の贅沢として購入する。

 この世の中は多くのシステムが信頼の上に成り立っている。それをいいことに、他人を欺くようなことを、他人が見ていないところで平気で行なう日本人が多すぎる。

 有権者の負託に応えて、と当選した国会議員は言う。そういう国会議員だって、国民の目の届かないところでは、国民をあざむくようなあくどいことを平気でやっているかもしれないという疑惑を、あたしは今更ながら感じる。