2010年3月24日水曜日

羊頭狗肉を掲げる民主党

 この民主党のなんという体たらく。

 民主党の生方幸夫副幹事長の「解任」を決めたかと思ったら、小沢幹事長が乗り出してきて、一転「慰留」に変わったという。生方氏の言うことは一部正しいものがあるけれど、それは自身の肩書きを考慮すれば、党執行部内で発言することであって、いきなりマスコミに向かって言うことではない。その点で生方氏のやり方は幼稚というか、甘えというか、あの鳩山邦夫氏と根底は同じだとあたしは書いた

 民主党執行部の生方氏に対する「解任」決定が、本当に世論の批判を受けたのかどうかあたしにはわからないが、一旦決めて公表したものを、舌の根も乾かないうちに引っ込めてしまうのは国民を、それも昨年の選挙で民主党を応援した有権者をバカにしていないか。そういう醜態をさらす前に、こういう反分子的な行動をとる幹部はしばらく泳がしていて、その間執行部はじっくり対策を練ればいいものを、小沢幹事長の顔色を見ながら早々と結論を出すから恥をかいてしまうんだ、とあたしは強く言いたい。偏差値を言うのも恥ずかしい凡人のあたしでも、こういう場合の対処の仕方には基本というものがあって、それに沿って結論を出すことが鉄則だというのがわかるのに、一体民主党の執行部というのは何を考えているのかいな、とあきれてしまう。

 いまさら生方氏を「慰留」したって、「解任」ということで一旦世論に知れ渡った民主党執行部の強権体質のイメージを変えるなんて事は難しい。それは「解任」という結論を出す前にやることであって、執行部のやることはすべて後手後手だ。今回ほど民主党執行部の洞察力のなさを痛感したことはない。

 生方氏の「慰留」を打ち出したことで、民主党のイメージを上げようとしたようだが、逆に下がったとあたしは思う。「慰留」という情実で執行部が支持率回復を狙っているとしたら、それこそ冷えすぎたビールを温めるようなもんだ。過ぎてしまったことは、いろいろ工面して過去の時間を取り戻そうとしても、うまくいかないことを知るべきだ。かえって状況は悪くなる可能性が大きい。

 今回のことで「雨降って地固まる」との執行部の発言に、慰留された生方氏は「雨が降るとグシャグシャになる」と依然として生意気な(執行部からみれば)口を利いている。おそらく彼は、小沢幹事長さえも自分に頭を下げてきた、自分には力があると、とんでもない自負心が芽生えてきたに違いない。妄想した彼の発言がさらにヒートアップするのは間違いない。執行部に取り込むことによって、生方氏の発言を封じようと目論んでいても、彼が依然として副幹事長の立場であれば、それはうまくいかないだろう。なぜなら彼はポスト小沢幹事長を構想して、より上位のポストを狙っているとみられるからである。今の民主党は自民党もびっくりするほどの権力抗争のるつぼだ。こういうことを考えるだけでも、あたしはがっくり落ち込んでしまう。

 政権を握った民主党のリトマス試験紙の一つとしてあたしがあげている官房機密費の公開について、鳩山首相は23日「適当な年月を経た後、すべて公開されるようにすべきだ」と生ぬるいテンポながらも少しは前向きな方針を述べたことに対し、平野官房長官は鳩山首相の考えに否定的なことを言っている。民主党が野党時代に官房機密費などの即時公開を声高に主張してきたことは一体何だったのか。一事が万事、野党時代の言動と反することだらけだ。鳩山政権が誕生して、即座に官房機密費の公開をすれば政権交代の意義を国民は強烈に味わうことができたであろう。そして野党時代の主張を実行する党として民主党の良いイメージが定着したかもしれない。しかし今や鳩山首相にしても平野官房長官にしても、彼らが自民党に対して批判してきたことを、そっくり自分たちが享受している。特に平野官房長官にいたっては、機密費を「存じ上げていない」と発言した直後に機密費の処理に手を染め、国民とって「コノヤロー」と思うような行動をしても、平然としている。これをあたしたちが毛嫌いしてきた自民党的体質と言わずして何と言う。

 民主党の国会議員の中に日本を救うと思われる優れた人物がいるというのに、悲しいかな民主党のトップの方に血が通っていない。そこには旧来の自民党的体質と体臭を持ち、老醜をさらす者がいる。 

 あたしたちが望ましいと感じてきた政策を掲げる野党時代の民主党が、政権を握ったらこのありさまでは、二度と再びこの政党に政権を与えまいぞ、と誓うのはあたしだけだろうか。

2010年3月11日木曜日

「核密約」問題で〇〇の流れは変わるか

 衆院外務委員会は10日、核持込など日米間の密約問題で、このことに関わったとされる元外務次官や元自民党衆院議員、沖縄返還当時における日米間の密約について秘密漏洩の罪があったとして逮捕された西山太吉元毎日新聞記者らの参考人質疑を19日に実施することを決めたという。さらに与党は歴代首相と外相の国会招致を求めることを決めた。

 ここでお知らせ、このブログのタイトルが不完全であるのはなぜかと言うと、それはあなた次第で〇〇の中に、「鳩山政権支持率」とか「普天間基地移設」、「日米関係」、「自民党再生」(いやこれはないな)とかを入れて読みかえてください、ということ。ブログのタイトルを丸投げとまではいかないまでも他人任せにして、それによってあたしのブログのニュアンスを微妙に違えていく手法もあったりしていいかなあ、と考える。人によっては好まれるかも・・・。 

 さて、「密約」があったと外務省が発表した事を受けた鳩山首相のコメントは、訳のわからぬ面妖なものだとあたしは別のブログで批判した。そのあたしの不満が多少は和らぐことを衆院外務委員会や与党はやってくれそうだ。こんなことは鳩山首相が真っ先に指示し、それをコメントすれば首相のリーダーシップをアピールできたのに、あたしたち国民に映るのは、部下の後を力なくついて行く指導者の姿だ。

 「密約」に関わったとされる人物や重要参考人らを国会に呼んで「密約」のさらなる調査に取り掛かかることは当然のことだ。また与党が歴代首相と外相の国会招致を求めたことも国民の思いと方向は一致する。これに対し、自民党の大島幹事長は小沢幹事長らの国会招致が前提だと、全く次元の異なる提案をしてきている。長年、自分たちの自民党政権が国民を欺く行為をしておきながら、そのことには少しも触れずに、あたかも物を取引するようなくだらない提案は蹴っ飛ばして結構。「密約」の検証を徹底的にやることの意義は、今後同様な「密約」が生じることを防ぐためだ。「密約」の検証は徹頭徹尾行なうことで、米国はもとよりその他の国に対して、日本とヘタな裏取引はできないという強力なメッセージを送ることにもなる。

 あたしたち国民の多くが一生涯野に下っていることをいいことに、政治家や官僚は多くのウソを国民についてきた。今回の「密約」はその際たるものだ。冷戦時代に、敵国に利すると懸念される理由で「機密」にされるものがあることは否定しない。そういうものは機密であり、「密約」とは言わないものだ。今回の件は主権たる国民と被爆国たるメッセージすなわち「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず(持ち込ませず)」を無視して、日本政府と米国が暗黙の合意をしたものである。このことについて、今でも「密約は存在しない」とか、「承知していない」とウソを言い続け、とぼける歴代首相や自民党元閣僚や官僚に対して、現政府が徹底的な調査を行い、その腐った精神を叩きなおす(もう直りはしないだろうけど)位の事をして欲しい。できることならこういう言動が何らかの罪に問えないのか調べてもらいたいとは思う。

 あたしがこの「密約問題」を執拗に取り上げるのは、民主国家であれば絶対に譲ることのできない重要な因子を含んでいるからだ。それは、この問題をおざなりに済ませてしまったら、今後国民と政府との間に不可欠な信頼関係(特に核に関すること)を築くことが難しくなるということだ。本来は米国が負担すべき現状復帰の経費を日本が負担したという「密約」、それも重要だがあたしが最も重要視するのは核の持ち込みにおける「密約」だ。世界で唯一の被爆国でありながら、時の政府はその教訓を生かすどころか、国民には「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」と言いつつ、その裏で「核の持ち込み」を認めていたことである。冷戦時代における国益を考えれば、苦渋の選択であったかも知れないが、そうであるならばなおさらそのことについて国民に是非を問うことが真の民主国家、唯一の被爆国として必要だったのではないかと、あたしは考える。

 歴代の政権は「事前協議の申し入れがない以上、核が持ち込まれたということはない」とおかしな理論で核の持込はなかった、と言ってきたし今も言い続けている。悲しいことに今の政権の一部の閣僚も同じ言葉を発している。沖縄や岩国の米軍基地に核が持ち込まれたという精度の高い情報があっても、である。

 こういう小学生でもわかるおかしな理論で長期の自民党政権を擁してきたあたしたちにも責任はある。しかし自分たちにとって都合のよい情報しか伝えない歴代の政府や官僚がいては、たとえ主権が国民であると謳っていても、実情はかの国の一般民衆と五十歩百歩であろう。

 この核持ち込みに関する「密約」の存在を明らかにすることで、逆に核抑止力を期待する声が政治家の中にもあって、果たしてこれが被爆国日本のありうるべき姿なのかなといぶかしく思う。グレーな部分を残し、そこに本来の期待をかけることは手法が本末転倒ではないか。それが十分な効果を発揮できなかった場合にはブラックユーモアーとしか映らない。

 マトモなことを言えば、それでは世の中を生きていけない、世の中というのはこういうもんだ、とかいってことさら必要悪を唱える者がいる。表向き核廃絶を叫びながら核装備をする国がある以上、それに対抗するには同じ様な装備が必要だという意見は一見正しいように見えるが、大事な点を見落としている。それは日本が被爆国であるということだ。

 自分たちの肉親、親戚に被爆者がいれば、核に対する認識はそうでない者と比べ大きく違ってくる。自分の国に被爆者を抱えていれば、政府はそうでない国と違った、核に対する新たな認識を持たねばならない。ましてやその被爆者は作為的に被爆させられたのだ、時の政府の暴走によって。そういう国の政治家が核に対して寛容であっていいはずがない。痛みというのは、本人でないとその痛みがわからない。それを共有してこそ、真の被爆国の政府といえよう。

 

2010年3月9日火曜日

普天間基地移設と鳩山首相の変節

 普天間基地移設について、社民党と国民新党がそれぞれ移設先案を沖縄基地問題検討委員会に提示した。社民党が国外もしくは沖縄県外の暫定移設など、国民新党が沖縄キャンプ・シュワブ陸上部、嘉手納米空軍基地への統合を提案しているが肝心の民主党の案はさっぱりわからぬ。沖縄基地問題検討委員会の委員長でもある平野博文官房長官はこの件について、鳩山首相と意見のすり合わせをしたとは思われないような発言をしている。女房役でもある官房長官の独走は、言い換えれば鳩山首相の無能無策ぶりを証明することでもある。いままでの鳩山首相の控えめな発言と行動は、背後にそれなりの戦略があってのことだろうと、今日の今までじっと見てきたが、なんのことはない、あたしが鳩山首相を買いかぶり過ぎたんだ。

 昨年の衆院選で鳩山首相は「国外、少なくとも県外移設」と明言したその約束はどうなっているのか。すくなくとも政権を握り、首相の座にあれば初志の思いを貫く方向で政権を運営していくのが当たり前だろうに、連立内閣が誕生してからこの半年間、鳩山首相がこの実現に向かって死に物狂いで動き回ったという形跡はまったくと言っていいほど見られなかった。オバマ大統領が来日した時も、「トラスト・ミー」と意味不明な言葉を大統領に投げかけて相手を煙に巻いただけである。

 「友愛」という言葉だけを振りまいていれば、平和が訪れ、国民が幸福になり、いろいろ問題も自然に解決するわけがないじゃないか。首相といえど、閣僚や官僚に向かって、時には怒り、叫び、叱って、自公政権が残してくれた膨大な負の遺産を片付けていかないと政権交代の意味がない。そういう意味では、沖縄県民の多くの反対意見を握りつぶして、沖縄普天間基地の移設先に辺野古沖が選ばれたという自民党政権時の負の遺産を解消することは、鳩山政権のみならず民主党がイの一番に解決しなければならない課題でもあるのだ。超不況対策と違って、こちらははっきりした相手があり、その相手を納得させればよいことだから、あらゆる智恵を絞れば解決できぬことはあるまい。さもなくば「国外、少なくとも県外移設」という言葉を妄言として国民に詫びることだ。

 この普天間基地移設に関する平野官房長官の一連の発言の中には、移設先を沖縄県内に固めつつあるという政府の意向をそれとなく伝えているような姿勢も垣間見られるようだ。それによって世論特に沖縄県民と議会がどのように動くかを見極めようとしている。これが鳩山首相の高度(?)な戦術によるものか、あるいは他の者の指図によるものかはまだはっきりしない。県外移設が実現できなかった責任を鳩山首相が取りたくないのであれば、県内移設に前向きな人物を作り上げるしかないのだ。これが事実とすればすれば、一部マスコミが報じているように、この問題の尻拭いをさせられるのは官房長官であろう。そうであれば官房長官の開き直ったような発言はある程度理解できる。

 問題は、もし基地の移設先が沖縄県内に決まれば、鳩山首相が力説した「少なくと県外移設」の公約に背くことである。首相はこの移設先について語る時、卑怯にも「ゼロベース」と言うが「ゼロベース」ではなかろう。これでは沖縄県内も含まれてしまう。自分が国民に約束した言葉を今も実行する気でいるならば、まず「国外」をベースに議論をスタートすることが基本であろう。また小沢幹事長が普天間基地の移設先について「沖縄県内というのであれば選挙にならない」と否定的な見方をしていることが8日、わかった。選挙のために移設先を考えると言うのもどうかと思うが、5月の訪米が実現して、仮にもオバマ大統領に会うことができたならば、おそらく普天間基地移設問題について何らかの打開策を持って帰国するだろう、とあたしは思う。アメリカ政府はこの時点で、いや今の時点ですでに日本の交渉相手は小沢幹事長だという暗黙の了解を各米幹部と交わしているだろう。

 日本国の総理大臣ではなく、一党の幹事長が米政府の幹部と会う(話し合う)という屈辱に鳩山首相が耐え得るか、適当な辞任理由を今から探しているかもしれない。

 沖縄県民の負担を減らすという目的で検討された普天間の移設先が、現行の辺野古沖案となんら変わらぬキャンプ・シュワブ陸上案や嘉手納米空軍基地への統合(たとえ期限付きであったとしても)などに決まったとしたら、この政権交代は沖縄県民にとってどういう意味があったのだろう。一時のぬか喜びを味わった分、かえって奈落の底に落とされたような気持ちになるのは間違いないだろう。このことを米基地を遠く離れ、日常ではほとんど意識しないあたしたちが日本国民として充分に思いやることは当然であろう。

2010年3月6日土曜日

学習院ブランドの崩壊

 皇太子家の長女愛子さまが不登校になっているということで、今までの学習院の高品位ブランドイメージが一気に落ちた。この落ち方を見ると、あのトヨタブランドと似ているが、トヨタの方はブレーキだとか電子回路という局部的なトラブル(それもまだ疑惑の段階)によるもので、「子ども社長」にいくらかの問題があり、そのために今回のトヨタの取り組み姿勢に反省すべき点があったとしても、会社経営の根幹に重要な問題があったわけではない(とあたしは思っている)。ところが愛子さまが通っておられる学習院初等科では昨年7月ごろから一部の生徒による学習環境の妨害があったという。平たく言えば学級崩壊にも等しいことがあったということだ。この事が公になれば、学習院の歴史に泥を塗ることになり、何より皇室家御用達の看板に傷がつくことでもある。それがなぜ前代未聞の発表までに至ったのか。

 宮内庁の野村一成東宮大夫が、愛子さまの不登校について公式に発表したことに疑問を呈している通称知識人もいるが、皇太子ご夫妻も宮内庁の方々も前々からこのことに頭を悩まされ、止むに止まれぬ状態になっていたのだと、あたしは思う。でなければ、たとえ皇族だからといっても私的なささいな問題を発表することはしないだろう。それほどまでに愛子さまの心の状態はもちろん学習院初等科の状況が抜き差しならぬ状態に陥っていたのではないかとも思える。

 学習院は原則として一般の人の子どもも入試に合格すれば入学できる。ただ本人の面接試験のみならず、保護者の面接試験も行なわれ、家庭環境も考慮した上で合否が決まるから、事実上医師や弁護士や官僚、会社経営者の富裕層の子どもに限られる。だからそういう子どもが通う学習院で、普通の家庭の子どもが通う学校で頻繁に起きている学級崩壊と同じことが起きるはずはないと思っていたが、どっこいそうじゃなかったんだ。

 聞くところによると、学習院でもモンスターペアレントのような人物もいて、こういう者に学校側が絡まれると、相手が財力も地位もあるだけに、一般の学校以上に手をこまねくこともあるらしい。子どももそれを見て、学校で思うがままに振舞うこともあるという。家庭で子どもの躾がキチンとされていればいいが、モンスターペアレントの子どもにそんなことは望み薄だ。

 愛子さまの不登校が異例の形で発表された背景には、学校側にも学級崩壊にも等しい今の状況を打開したい気持ちがあったと思う。生徒の一部に乱暴な振る舞いが見られはじめた去年の7月から、何の手も打たずにいきなり今回の発表になったということはないだろう。むしろ皇族であるがために、極力内部で解決したかったというのが本当だろう。

 子どこ同士の問題をこういう形で発表すべきでないという、上っ面だけで物事を見て発言する者がいるが、それでは解決できなかったからこういう結果になったのではないか。恐らくそれは子どもだけの問題でなく、いわゆるモンスターペアレントに等しい地位と財力を持った保護者が、子どもと同じ様に問題を起こしているのではないかとあたしは思う。そいうふうに問題が拡大しているのに、子ども同士で解決だとか、かえって深い傷を負うとか言っているからこの種の問題は何時まで経っても解決しないんだ。

 発表によって、子どもの方に精神的に大きな影響を与えることになったというが、すでに愛子さまは昨年から精神的に大きな影響を受けているのだ。同じ様な子どもも他にいるだろう。それでも子ども同士で解決しろだというのは、そのような悩みを持つ子どもを育てたことがない人間か、机の上だけで平和を説く空気学者だけが吐く言葉だ。

 異例の方法ではあるが、今回の発表で事態が大きく解決に向かうことを望んだ関係者の考えたことだと、あたしは理解したい。そして学習院も、今までの意味のないブランドを引きずらずに、品格のある学校になったらいい。