2009年11月29日日曜日

蓮舫議員と酒井法子

 行政刷新会議の事業仕分けで「仕分け人」を務めた民主党蓮舫参院議員に対して「あまりに攻撃的」という声があったという。一時は検索ワードで蓮舫という名を入れると「何様」「生意気」という言葉が数多く出てきたそうだ。この事業仕分けをあたしも何度か見聞きしたが、何をもって「蓮舫は何様」だとか「蓮舫は生意気」だとかいうのかわからない。彼女の言葉がキツク感じられるのは確かだ。これも裏返せば、仕分けされる役人の意味不明な、のらりくらりとした返答と比べると蓮舫議員の明快なしゃべりが際立つからにほかならない。欧米などの会議で議論を聞いているとわかるが、真剣な討議では言葉の中に修飾語は一つも出てこない。あいまいな言葉をすべて削除すると蓮舫議員のようなしゃべりになってしまう。

 1時間程度の時間で決めるのは乱暴だの、国家予算の内容が素人に判断できるはずがないなど役人からの批判的な声もあった。ならば予算作りに百戦錬磨の役人がなぜ仕分け人を納得させられないのか。この予算を組んだのは当の役人で、それも昨日今日始まったことではないプロ中のプロだということを考えたら、大人(仕分け人)が年端もいかない子供(役人)を叱ってかわいそうだ、というような役人に対する下手な温情主義は慎むべきだと思う。

 ことは逼迫した国家予算に関することだ。自公政権の時のように仲良しクラブでマアマア言いながら、国民の目の届かないところで予算を決めてしまっていたから、莫大な借金を背負うことになった状況下を考えると、いろいろと意見はあるだろうけど、事業仕分けの「仕分け人」はよくやったと思うよ。蓮舫議員のような国会議員もいることで、日本の国会議員も欧米の討論に少しは太刀打ちできるのかなとも思う。

 一方、これはここに書くことさえもムカツクのだけど、あの酒井法子が創造学園大学のHPに広告塔としてぬけぬけと出しゃばってきたという話。

 あたしは、覚せい剤取締法違反の罪で懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪が確定した酒井法子がどういう気構えでこの3年を過ごすのかと見守っていたが、早速往年の清純女優気取りでHPに登場したのを知って馬鹿馬鹿しくなった。

 そもそも「執行猶予」は「社会生活の中で心から罪を反省し、自力で更生することで二度と罪を犯さないように促す」のが目的という。早々と(東京地裁の判決から1ヶ月も経たずに)商業主義一辺倒の私立大学の宣伝に一役買うことが、「社会生活の中で心から罪を反省する」という態度なのかとあきれてしまう。大学側では酒井法子にギャラなども払ってなく、PRではないと言うが、HPを見たら元清純女優の犯した罪という話題性につけこんだ宣伝そのもので、このことによってこういう疑義に疎いチャランポランな新入生をより多く集めようとする魂胆がミエミエだ。18日に酒井法子が初登校したときには「学生の落ち着いた学習環境が著しく損なわれた」と一応教育者らしい言葉で詰め掛けた報道陣を批判したにもかかわらず、今回の創造学園大学のサイトにあるように、酒井法子を前面に押し出して学校の宣伝をするようなHPの内容は、沈静化しつつあった騒動を必要以上に掻き立て、さらに学習環境を損なうことにならないのか、前に言ったことと逆行するようなことをしてどうする、と大学側に問いたい。

 酒井法子と創造学園大学は互いが自分たちの利益のために、利用できるものなら何でも利用するといった印象を与えてしまうような今回の出来事に、酒井法子は執行猶予中の身にふさわしい社会に対する反省の態度を示しているのか、あたしはますます疑問を持ってしまった。

 蓮舫議員と酒井法子を比べると、比べること自体おかしなことであるが、どちらも女性であり、一方は刃のような言葉を役人に突きつけて少なからず批判される要素をもった国会議員で、他方は清純さを売り物にしてきた昔の功績を今切り売りして再起を図ろうとしている執行猶予の身分。どちらもこの1週間、国民の耳目を集めたことだろうが、強いて近況の弁を語ってもらうとすればどちらか、言うまでもない。

2009年11月23日月曜日

新型インフルワクチンに重い副作用ーカナダ

 カナダの衛生当局は22日までに、英医薬品大手グラクソ・スミスクライン社が製造した新型インフルエンザワクチン17万回分の使用を中止することを決めたという。接種後に通常より高い比率で重いアレルギー反応(アナフィラキシーショック)が発生したためで、グラクソ側が原因を調査するため暫定的に使用を中止するよう当局に要請した。

 報道によればグラクソ製の一定量のワクチンについて、通常1~2例にとどまる重い副作用が6例発生した。副作用症状は短時間でおさまり、すでに回復したという。通常は10万人に1人起きるといわれるアナフィラキシーショックが、2万人に1人の高い割合で起きているという。

 日本政府は英グラクソ・スミスクライン社の同工場で製造された製品を輸入する予定で、早速厚生労働省が情報収集を始めた。新型インフルエンザワクチンは今回の英グラクソ・スミスクライン社とノバルティス社の2社から計4950万人分(2回接種)を12月下旬から輸入する予定で、このうち3700万人分が英グラクソ・スミスクライン社だという。今回のことで場合によっては輸入がストップすることがあるかもしれない。
 
 厚生労働省によると、優先的に接種する5400万人のほとんどは国内産でまかなうが、来年1月以降は高齢者に輸入ワクチンが使われる見込みだという。このことを知った高齢者の多くは、じっくりと育てられた国内産のうまい松阪牛ではなくて、外国産のまずい牛肉を割り当てられたようでなんかすっきりしない感じがするのではなかろうか。

 英グラクソ・スミスクライン社のワクチンは国内産と製造法や接種法が違うらしい。しかし今回の副作用が製造法や接種法に起因するものであれば納得できる情報だが、新型インフルエンザ・ウィルスが持つ特異なものによって引き起こされたのであれば、製造法や接種法が違おうと何の気休めにもならない。

 新型インフルエンザワクチンの接種についてはその安全性に不安を抱いている保護者がいることは確かで、米国では保護者の半数近くが子供に接種させるつもりはないと考えていることがメディアの世論調査でわかった。

 日本における新型インフルエンザワクチンの副作用は、医療従事者約2万を対象とした調査で424人に接種後の異常(有害事象)がみられたと厚生労働省が発表している。そのうち因果関係が認められたのは337人で後遺症は認められなかった。この調査とは別にワクチン接種を受けた基礎疾患のある高齢者3人とあわせて接種後の死亡は計13人となった(厚生労働省11月20日発表)。しかしながら接種と死亡の因果関係が強く疑われるケースは認められないという。

 このような事実を見聞きすると、どうにかしてこの新型インフルエンザから逃れたいと考えるのはあたしみたいな凡人がやることだと納得したうえで、インターネットで調べたらパレスチナ自治区のガザ地区では21日現在、新型インフルエンザ感染者が1人もいないということがわかった。境界が閉ざされた厳しい通行制限が、人間どころか新型インフルエンザ・ウィルスさえも阻んでいるとは皮肉としかいいようがない。だからといってその地へ行くのは現状では困難だ。また厳寒の地ではインフルエンザ・ウィルスが生存できないと言われているけど、世界最低気温を記録したロシアのサバ共和国オイミャコンは氷点下71.2℃だったというから、そこへ行ったらあたしも生きてられない。

 あたしは確認したわけではないけれど、まだ新型インフルエンザ・ウィルスと初顔合わせをしたことがないと思う。

 新型インフルエンザに罹患した場合、基礎疾患のある者と10代までの若年者に比較的重い症状が現れ、70歳過ぎの高齢者は過去のインフルエンザの抗体によるものか症状は軽いという。今年のうちに年取って70歳過ぎの老人になるのもなんだかなあー。

 こうなれば、新型インフルエンザ・ウィルスから逃げ回るか、今のうちに新型インフルエンザに罹患して抗体を持つか、リスクが必ずしも払拭できないワクチンの接種を不安と恐怖に顔をゆがめながら受けてダメージを最小限に食い止めるか、選択肢は3つくらいあるけど、どれも選びたくないなあ。

2009年11月21日土曜日

機密費はすべて公開すべき

 鳩山政権誕生から早や2ヶ月超、官房機密費というものが平野官房長官によって、この間に1億2千万円も支出されていたことがわかった、ということだけでも一般人のあたしにとっては驚きだけど、さらに前麻生政権の退陣が明らかになった衆院選2日後に河村武夫前官房長官が2億5000万円もの機密費を引き出していたことが明らかになって、あたしの日本の政権に対する不信のメーターの針は一気に振り切れてしまった。莫大な機密費を手にして民主党に政権を渡すわずか半月の間に日本の国益に見合うような大きなことを麻生政権はやったのか。退陣する直前に多額の官房機密費を手にして消え去るというのは、まさにあのフイリピンの故マルコス大統領がハワイに亡命する直前まで、多額の国家資産を横領したことと根は同じで、河村前官房長官の「説明する立場にない」というコメントとあわせて、税金泥棒にも匹敵する「胸くそわるい」所業に見えて仕方ない。

 マルコス大統領が去った後のマラカニアン宮殿にはマルコス大統領夫人の高級な靴がそれこそ山ほど残されていたが、平野官房長官が業務引継ぎの際、首相官邸に残されていたのはカラッポの金庫だったという。ことほどさように、麻生前政権はチリ一つ残さず、あらいざらい持ち去ったわけだ。

 河村前官房長官が2億5000万円の使途について「説明する立場にない」のであれば、現平野官房長官は「説明する立場にある」のだから疑惑のあるこの使途についてすぐさま説明すべきだろうよ。このことによって平野官房長官が今回受け取った1億2000万円の官房機密費に連動することを恐れて説明を避けているのであれば卑怯である。

 確か民主党はこのような機密費の使途については明らかにすべきで、そのための法案も検討していたのじゃなかったかね。そういう機密費自体の存在を「承知していない」と発言した平野官房長官が1週間後にはぬけぬけとその機密費の請求をすることほど国民を愚弄するものはあるまい。

 機密という名がついているからには、その目的を公にすると場合によっては国益を損なう恐れがあるということくらい素人のあたしにも分かる。毎年12億ほどの官房機密費がすべて税金であっても、それが純粋に国や国民のために使われるのであれば、その内容をあたしはあえて知りたいとは思わない。しかし信頼している人物にまとまったお金を預け、社会に役に立つことに使ってくださいと頼んだものの、己の衣服や特定の人の歓心を買うようなことに使われていたとしたら、使い道を明らかにせよと要求する気持ちになるのは当然だろうよ。

 官房機密費に限らず、外務省報償費(外交機密費)や捜査報償費の一部は不正な使われ方がされたことが今までに明らかになっている。外交機密費にいたっては毎年約50億円が計上されていて、その問題点は今までも散発的に国会で取り上げられているがなかなか抜本的な改善がなされず、これが財政逼迫した国のやることかとあきれてしまう。この外交機密費の3分の1近くが官房機密費に上納されているとの疑惑もあって、もしこれが事実なら官房長官が扱える額はもともとの機密費とあわせ年間約30億円にもなる。

 2001年に発覚した外務省機密費流用事件は首相の外遊を担当していた当時の外国訪問支援室長が9億9000万円の官房機密費を受け取り、競走馬やゴルフ会員権、高級マンション、女性への生活費に浪費していたというが、これなどは上納された外交機密費のペイバックだろう。

 こうしてみると、わが国の機密費が国家の緻密な戦略や戦術に基づいて的確に有効的に使われているとは到底思われない。機密費というたいそうな名称がついているが、単に使用目的隠しに都合のいい名をつけたとしか考えられない。あやふやなものにもいとも簡単に流用できる機密費の使途公開を、相手のあることだとか、誤解を招くとかいう理由で拒絶するが、国益のための機密費という性格はとうに失っている。いま使途を公開しても、不正に関わった者には大きな影響があろうとも、それ以外はさほどのことはあるまい。

 確かに国が政策を進める上で官房機密費などの使用目的を公開することは国益を損なう場合があるかもしれない。しかしそれは機密費が正しいことに使われており、過去においてもいささかの疑惑も持たれなかった場合に言えることで、多くの国民から疑わしい目で見られている今となっては、もはやそれは主張できまい。国益ということを隠れ蓑にして、使用目的を公開する考えはないという官房長官の発言を聞くにつけ、貴重な税金を都合のいいように流用しているのではないかということに疑念が涌き、例の裁判員ではないが、「むかつく」ようなことが「国民の生活が第一」というキャッチフレーズを掲げる民主党政権にも少なからずあるという事実に、あたしは言いようのない腹立ちを覚える。

 鳩山政権は国益と言う言葉を発する前にすべての機密費が正しいことに有意義に使われる方策を緊急に考えるべきだ。もしそれができなければこういう使途目的が不明瞭な機密費などは即刻無くすべきだ。鳩山首相は今回の件について「政権交代時にはありうるべきこと」とか悠長なことを言っているが事態はそんな生易しいことではない。日本国民の何千万分の一かに当たるあたしが今回のことで民主党政権に?という疑問符を持ち始めたのだ。同じ気持ちになる人間はひとりや二人ではあるまい。

 政権を取って野党時代には考えもしなかったいろんな権力、待遇、金力が舞い込んできた。野党のときは批判していた制度が与党になったとたん使い勝手のいいものに感じられて手放したくなくなってきた。そんなイメージを今の民主党に感じるのである。

 前麻生政権が退陣の半月前に2億5000万円もの官房機密費を国益のためにどう使ったのかをすぐさま明らかにすることは現鳩山政権の責務である。そしてさらに機密費の公開を求めていた民主党政権が直ちにすべての機密費の使用目的を公開しなければ、民主党もやはり言行不一致のハリボテ政党かと日本国民に判断されても仕方ないと思う。その先に控えるものは日本を一層泥沼に陥れそうなガタガタの自民党政権ではなく、おそらくアメリカ51番目の日本州だろう。橋下大阪府知事が唱える日本の道州制など簡単に吹っ飛んでしまう。

2009年11月17日火曜日

釜山室内射撃場の火災は粉じん爆発?

 韓国釜山のガナラダ実弾射撃場で邦人7人が死亡した火災の原因について、韓国警察当局は銃弾の火薬が空気中のチリなどと混ざり、粉じん爆発を起こした可能性が高いと見て、再現実験を予定しているらしい。

 この火災を目撃した人の話によると、「ボン」という爆発のような音がしたかと思うと、黒い煙が窓の隙間から噴出し、体中真っ黒になった人が階段を駆け下りてきたという。

 6年前に名古屋の運送会社で会社の賃金不払いに抗議した男がガソリンを撒いて火をつけた事件も、爆発の瞬間に窓から黒い煙が噴出していたのを中継のカメラが捉えている。

 この場合は、男がガソリンを床に撒いてしばらくの後に爆発しており、ガソリンが気化するのに最適な時間経過があった事が強烈な爆発を引き起こしたようだ。この場合は粉じんではなく、気化したガソリンが空気中に充満し、爆発濃度に達したもので爆発の仕組みは同じである。

 火災があった釜山の室内射撃場では、実弾発射の音が外部に漏れないよう窓はすべて閉鎖されており、出入り口も丈夫なドアーで開閉はフロントでコントロールするようになっているという。これは銃器を扱っているので防犯の上でも必要なのだ。

 この店に被害者の邦人が入店する場面がニュースで流されたが、店のドアーは開いたままになっているようだ。おそらく団体客だったので一時的にドアーを開放したのだろう。

 いずれにしてもこのような室内実弾射撃場は、防音と防犯に重点を置いた造作がなされており、言い換えれば物理的に外部と完全に遮断された空間になっている。このことが銃弾を発射した時の火薬の微粒子が空気中に浮遊しつづけるのを容易にし、炭鉱などで起こる粉じん爆発と同様なことが生じたのではないかと思う。この火災現場における換気施設がどのようなものであったかは今のところ情報がない。セントラルヒーティングのように循環した空気の流れがあればフィルターによって粉じんは除去できるかもしれない。かりに換気扇で換気をしようとしたら、かなり強力なものでないと増え続ける火薬の粉じん濃度を低下させることはできないと思う。しかしそれは同時に防音の効果を弱めることのなるので、はたして換気扇が設置されていたのかどうかあたしにはわからない。

 粉じん爆発は日本の炭鉱でよく起こり、多数の死者が出たことはご存知の通り。しかし炭じんや火薬の粉じんだけでなく、あたしたちの身近にあるもの、たとえば砂糖だとか、小麦粉でもその粒子が空気中に適度な濃度で混ざると強烈な爆発が起こるのをご存知かな。アメリカでは砂糖精製工場で砂糖の袋詰め作業中に粉じん爆発が起き、8人が死亡した。新潟県では死者こそいなかったものの化学工場で石炭や火薬でない粉じん爆発と思われる事故が起きている。こちら「粉じん爆発のメカニズムを探る(http://www15.plala.or.jp/katya/hunnjinnbakuhatu.html)」に詳しく説明したものがある。

 では火災を起こしたこの射撃店が今まで何事もなかったのはなぜか。空気中に浮遊する火薬の微粒子すなわち火薬の粉じんはそのまま何日も何ヶ月も浮遊するものだろうか。掃除はするだろうし、人の出入りによって空気が入れ替わるだろうし、なんといっても密閉された空間の換気をしていなかったとは考えにくい。不十分ながらも何らかの方法で換気はしていたのではなかったかと思う。ただ不十分な換気のため、室内に漂う火薬の粉じんを完全に除去しきれなかった、と考えられないだろうか。増減を繰り返しながらも日を増すごとに空気中に漂う火薬粉じん濃度は徐々に高まり、邦人の団体客を迎えた14日の午後2時過ぎに最適な爆発濃度に達してしまった。

 粉じん爆発がおきるためには、「適度な粉じん濃度」「着火元」「酸素」の3つの条件が必要である。

 着火元はどうだろうか。11月14日の釜山の天候は曇り、気温は最高16度(摂氏)、最低7度(同)、雨量は0であったという。この時期の韓国の湿度は平均約30~40%という。当日の釜山での湿度の情報は入手できなかった。14日前後の日と比べてこの日は温度も高く、したがって飽和水蒸気量は高くしかも前後の天気も曇り勝ちで必ずしも静電気が発生しやすいものではなかったようだ。しかし室内の環境はかなり異なっていたかもしれない。一部の報道によると待合室にストーブがあったともいわれている。これが事実とすれば着火元は容易に断定できるが、暖房により室内の湿度が低下して静電気が生じやすくなっていたという可能性も捨てきれない。人為的に使用した火、たとえばピストルの発射時の火炎、タバコの火、電気器具の火花など火元の特定は難航するかもしれない。

 いろんな状況を考えると、火災の原因は韓国警察当局の言う粉じん爆発だということはほぼ確実だろうとあたしは思う。決して皆無ではないが、稀有な事故に遭って我が子や肉親を突然失ってしまった遺族を思うと胸が痛む。

心からお悔やみ申し上げます。

2009年11月13日金曜日

「事業仕分け」を人民裁判と評するおろかさ

 行政刷新会議の「事業仕分け」が始まったが、これを「人民裁判」のようだと報道するマスコミがあるが何を甘ったれたことを言っているのかと思う。

 国の借金が800兆円をはるかに超え、さらに借金が増えようとしているこの時に、無駄な事業を削る作業を、一応政府関係者からという表現であるが「人民裁判」という見出しを使って批判するマスコミとは一体なんだ、ジョーダンじゃない。

 そもそもこのようなことは先の政権がとっくの昔にやっておくべきだったのだ。国の財政状況は今や先進国では最低レベルまで落ち込み、どうしようもない飲んだくれの親父がこしらえた借金を、その子が少ない給料の中から返していかざるを得ないような状態なのだ。

 母屋ではおかゆをすすっているのに、離れではスキヤキを食っている状況は今でも変わっていない。これを打開するための「業務仕分け」なのに、それを批判する意図はほかにあると考えざるをえない。

 周囲では、もっと担当者の意見を聞けとか、素人の仕分け人が一方的に断を下すのはおかしいとか、時間をかけて等いろいろ雑音を発しているが、限られた時間内で多くの事業に対して的確な判断を下さなければならない今となっては他に方法はあるまい。

 それもこれも先の麻生首相が権力の座に固執して衆議院の解散を先送りしたことが原因だ。来年度の予算案に取り掛からねばならないきわめて重要な時期に政権交代という大きな変化を組み入れながら、予算案を作成し、政権を維持していくことは歴代の内閣は経験したことがないのではないか。自公政権が前内閣のやったことをそのまま盲目的に踏襲していくのとはわけが違うんだ。

 国が異なれば革命にも匹敵する政権交代がいかに大きな出来事かを考慮せず、明日も同じ様な風が吹くだろうという安穏な思いで自公政権時代の政治と比較して何になる。政権交代すれば、時と場合によっては明日からでも徴兵制や核武装などの論議がされてもおかしくないほどの重大な出来事なのに、旧来の政治手法を変えようとする際に生じる不可避なトラブルに対してさえも、重箱の隅を突くような取り上げ方をして、針小棒大に紙面やテレビ欄を埋めてしまう様なことはやめないか。

 「事業仕分け」の会場で役所の担当者が仕分け人に一方的に苛められているといった情に訴えるような報道の仕方は、まるであの八ッ場ダムの住民の報道とまったく同じではないか。仲良しクラブで国の財政を論じても何の効果もないことは先の自公政権で立証済みだ。ホンネで言い合う過程で必要不可欠な事業は浮かびあがってくるだろうし、そうでないものは消滅するだろう。

 この「事業仕分け」作業に対してあたしは2つの効用を説きたい。

 ひとつは当然のことながら、いくつかのムダな事業はこのことによってあぶり出されてくるだろうという事。仕分け初日だけで23項目50事業のうち7項目10事業を「廃止すべき」と判定され、500億円余りの削減になるというし、2日目も埋蔵金などにも切り込んで6200億円余の国庫への返納を要求した。一見妥当と思われるような事業でも俎上に乗せてチェックするようなことが今まで行われていただろうか。今までの硬直した予算編成のあり方が、あたかも必要不可欠な事業として喧伝されてきたきらいがある。「事業仕分け」の作業は、役人がなかなか見せてくれなかったサイフの中身を国民の前で広げて見せてくれたようなもんだ。このことだけでも意味がある。

 ふたつ目は、役人とくに官僚は自分たちの保身と蓄財に執心するばかりで、税金のムダを無くすことに長年無関心であり続けたためにふやけた頭脳をブラッシュアップするいい機会にめぐり合わせたことだ。すばらしい頭脳を持ち合わせながら、次元の低いことばかりに能力を使って、わが世の春を満喫していた霞ヶ関の人間に対し、この「業務仕分け」作業が目を覚まさせる冷風を送り込んだことは間違いない。本来ムダかどうかの仕事はこれらの役人がすべきことだが、自分たちが安穏と過ごすためのムダな経費をも巧妙に織り込ませて作成された予算案に、役人自身が「事業仕分け」作業をすることは己の恥部を探すようでなじむはずがない。ネット中継を見ると、頭脳明晰であろう担当者が仕分け人に対しいかにうまく言いくるめるかに懸命で、肝心の事業の必要性を決められた時間内で得心させられないのはどうしたことか。仕分け人が一方的だとか、話をさせてくれないとか能力ある者が言うべきことではあるまい。もともとムダな事業であるということを知りつつ、必要性を説明しなければならない姿も哀れだけどね。

2009年11月10日火曜日

この頃不快に思うこと

 鳩山政権が誕生してもうすぐ2ヶ月になるけど予算委員会の国会生中継が様変わりして結構面白い。攻守交替の席順も新鮮だし、閣僚のおっかなびっくりの答弁が失礼ながらこれまた楽しい。野党の質問者を「〇〇大臣」と言ってみたり、身内の閣僚を「xx委員」と言ったりして視聴者の期待を膨らませてくれる。官僚主導の政治から脱却しようとしている与党だから閣僚の答弁は官僚のお助けがなく自分で考えるしかない。気を利かして内緒で資料を提供してくれる官僚がいるはずがなく、孤軍奮闘している大臣の姿が国民のために汗を流してくれているようで、たまにぼやけた答弁があっても公僕という姿勢が如実に現われていて、まあ許せるかなと思う。

 反面、自民党は政権の座を滑り落ちた腹いせに「このやろう」と思って質問するものだから、言葉の端々にはその悔しさが先にたち、攻め応えのある鳩山首相の献金疑惑でさえなかなかダメージを与えられずにいる。特に派閥の長たる人にこの傾向があり、それが理由かどうかわからぬが、最近は質問を若い議員に任せているようだ。でもまだ試用期間中です、といった雰囲気プンプンで言葉は威勢がいいがオーラがない。まあ与党の若手も同じようだけどね。

 国会中継でいつも疑問に思うのは特定議員の執拗なヤジをなぜ無くすことができないのかということ。質問あるいは答弁の最中で巧みな話法で議場を盛り上げた時に起こる歓声などは当然だとしても、質問者や答弁者の声が聞き取れぬほどの卑劣なヤジを許している国会が恥ずかしい。昨日(9日)の参議院予算委員会では質問者が名指しでヤジ止めるよう注意したが、その後もヤジが続き委員長が再度注意しても治まらなかった。こういう卑劣なヤジの常習犯は会議場から即刻退場させるべきだ。おのれの国会議員たる資質のなさをこんなところで披露しても仕方ないだろうよ。見てて不快になるなあ。

 酒井法子被告に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決が下ったというが、これ軽くないかな。純真さを売り物にして有名になったのだから、それを裏切った時には倍の罪を負わなきゃならないと思うよ。高相被告が覚せい剤所持で拘束された時に逃亡せずにそのまま出頭していれば、覚せい剤所持および使用の事実があっても執行猶予はありかなと思うけど、逃げ回って尿反応がなくなった時に出頭するという確信犯が実刑(たとえ6ヶ月くらいでも)でなくて、何が覚せい剤撲滅キャンペーンに一役買った被告の国民に対する裏切り行為に対する妥当な処罰かなと不快に思う。さらに介護だとか音楽療法士だとかで世間の冷却期間を計算した甘ったれた感覚で再起を図ろうとする姑息な演技にうんざりするなあ。

 これもまたつい昨日のことだけど、あまり詳しく書くと天に唾する結果になるのでぼやけた表現をするが、半日かけて(中途でいろいろ用事があったものだから)書いたブログが公開ボタンを押した瞬間にすべてが文字化けを起こしてしまったんだ。書いた内容が強烈だったので、あたしは一瞬、かの中国で体制批判のブログを作成して検閲にひっかかり、トラブルを起こしたのかと思った。でも実際にあたしがいるのは自由主義国家の日本で、書いた内容は「タバコ増税大賛成」と表題にしたくらい平和的なものだったから、検閲に遭ったというのは考えられない。どんなにしても元に戻らず、悪質なウィルスに感染したかと調べたがそれも問題なかった。あっちこっち設定をいじくってさらに深みにはまるといけないので、半日の労働力を費やしたものだけどそのブログは思い切って削除してしまった。なんか不愉快だ。で、いまこのブログが文字化けせずに公開できるか、緊張の瞬間がもうすぐやってくる。これはこれで快感だなあ。