2009年9月29日火曜日

自民党総裁選と大相撲秋場所

 ここから書くことの一部には、あたしの妄想が含まれているから、そのつもりで・・・。

 自民党の総裁選が28日に行われ、やっぱりというか当然というか谷垣禎一氏が大方の予想どおり、一発で選出された。河野太郎氏もまあまあ頑張ったようだけど、思いのほか議員の票が伸びなかった。シンキロウーのそそのかしで急遽立候補した西村康稔氏が河野氏の票を食ったのだろうね。シンキローにしてみれば「してやったり」で、満面の笑みでテレビに映っていたよ。

 変化を嫌うのが自民党の持ち味だから、野党といえど自民党という伝統ある組織の下で、民主党政権がよほどのチョンボをしない限り、あと4年間は議員の身分でいられる事の方が大事だ。そりゃそうだ。名指しで長老の批判をしていた河野氏に肩入れでもしたら、後々どういう形で災難が降りかかってくるかわかったもんじゃない。シンキローにマコトちゃん、それにアオちゃんらが監視しているから、この人たちの心証を悪くしたら自民党から放逐されてしまう。谷垣氏あるいは西村氏に投票することが自身のセーフティ・ネットであったわけよ。

 民主党政権が大チョンボしたらそれだけ早く自民党に政権が回ってくると思ったら大間違い。こんな自民党に誰が票を入れるもんか。あたしは前にも言ったが、4年間の任期途中で民主党政権が行き詰まったら、日本は中国かロシアか、はたまたさらなる米の属国になるだろうと予想したんだよ。だから自民党には政権を任せることが出来る近代的な党に早くなってもらいたいんだ。しっかりした二大政党制になれば日本の政治はきっと良くなると確信しているんだ。

 なのに先の衆院議員選から昨日の総裁選までの期間を見ても自民党のこの体たらく。この総裁選を通して、あたしが感じたことは自民党は何も変わっていないな、変えようとしないな、ということ。顔を変えても頭の中は旧来どおり。党結成以来の危機と叫ぶ割には、どこかの村議会でお偉方を選ぶ発想と同じだ。地元の長老がすべてを取り仕切るという大昔のやり方を、今の自民党はやっているんだ。今回の総裁選でたとえ結果は同じになったとしても、同じ組織の中で強烈に長老たちを批判する稀有な立候補者がいたのであれば、その人をもっと大事にする様な総裁選をやるべきだったのだよ。

 話は跳びます。日曜の大相撲秋場所は白鵬と朝青龍の優勝決定戦に持ち込まれた。直前の取り組みでは13章1敗の白鵬は14勝の朝青龍と取り組んでアッという間に白鵬の寄りで勝ち。1敗同士の優勝決定戦に持ち込んだ。ここで盛り上がらないわけ無いじゃない。白鵬と朝青龍の技を比べたら、残念ながら、伝統をおもんじることも品格も余り無い朝青龍の方が上だとあたしは思う。その差はわずかだけども、少し気を抜いた方が負けてしまう微妙な力量のぶつかり合いで、優勝決定戦になったら、さらに「盛り上がる」と考えはしないだろうかね。その采配は強い方が持っている。優勝決定戦で白鵬は負けたけど、ここまで持ち込んだということに、あたしは納得したし、おそらく観客も納得したと思う。朝青龍憎し、という気持ちは払拭されたね。人間の心理とはそんなもんだ。

 もし自民党総裁選おいて、1回目の投票で接戦になり、谷垣氏と河野氏の決選投票になっていたら、テレビニュースでの取り上げ方、新聞記事の書き方もだいぶ違ってきたのじゃないかな。他党や党内の批判者に対して深謀遠慮を駆使する自民党の長老がこういうストーリーを少しも描かなかったということを意外に思っている。あたしだって、そういう「盛り上がった場面」を見たら「自民党も変わろうとしてんだな」と思ったかもしれない。長老たちはそんなことは何も考えず、いかに自分たちに強い力があるか、自分たちに批判的な者にこれでもかと見せつける総裁選を実施した。そして、自民党の再起を願う人たちの希望の芽を摘んでしまった。

 あるテレビキャスターは「自民党の再生には10年かかる」と予想しているよ。素人のあたしは4年後はムリかなと考えていたのに、専門家はさらに厳しい意見だ。こうなると自民党は分裂という可能性もあるかもしれない。

2009年9月27日日曜日

イチローの初めての退場

 マリナーズのイチローが26日、はじめての退場になっちゃったけど、ちゃんと野球規則にあるのだから仕方ないのかな、と思うね。ストライクかボールかというのはあたしに言わせりゃ球審の独断と偏見だよ。

 日本のプロ野球をホンノ少しだけ見ただけでも、あたしには次の球審のボールの判定がわかるんだ。一番わかりやすいのは、2アウト満塁で1ストライク3ボールの時。次の球が臭いコースだったらほとんどストライクの判定だね。同じく2ストライクで2ボールだったら、次は間違いなくボールの判定だよ。

 球審だって人間だ。試合中、自分の欲望と理性が葛藤しあう時間をいかに少なくすることができるか、それにかかりっきりになっているんだ。ベースの上をボールが通ったかなんてのは関係ない。試合が盛り上がればいいんだ。

 とは言っても明らかにボールなのにストライクと判定するわけにはいかない。テレビカメラもあるし、ほかの審判も見てるし、なにしろ観客の反発が怖い。だから微妙なコースの球がきた時にこそ、球審が待ち望んだ場面だ。バッターがどんなに名手であろうと、この場合の球審はバッターにとってみれば大統領よりも権限が強いわけだよね。こういうバッターに対して、「ストライク、見逃し三振」と宣言することこそ球審冥利につきるわけだ。

 イチローに三振を宣告したルンギ球審は、ついこの間9年間200本安打の記録を打ち立てたバッターに対して、自身でも驚くほど高揚したに違いない。「この場面では私が最高権力者」と思ったかどうか知らないが、つい勢いづいて、イチローがバットでベース上のラインをなぞったことが、自分に対するこの上ない侮辱と思ったんだろう。祖父も父も大リーグの審判員だった。そういう私に対し、なんということを、と逆上したんだね。

 だから審判がほかの人だったら、ボールだったんだよ。イチローにとって初めて味わう退場処分だったけど、コメントも落ち着いたものだ。イチローは「間をもうちょっと置いて欲しい」と言っているように、球審が間髪入れずに退場宣告する前に、観客を喜ばせる何らかのシーンを期待していたみたいだね。イチローは「演出能力の問題」と言っているから、なかなかの役者だ。

 今回ようやくイチローの「退場」という名の「枠」ができたわけだ。だからこれから思いわずらうことなく、球審に対しアピールすることができて、あたしたちもイチローの退場処分の場面をしばしば目にすることが出来るかもしれない。今回みたいな一瞬の出来事でなく、多少の時間あれやこれやと球審ともめる演出場面を見たいとも思う。

2009年9月24日木曜日

再び八ッ場ダムについて

 前原国土交通相が八ッ場ダムを訪れた。あたしはダム建設中止の撤回を求める地元の人たちの心情は痛いほど分かっているつもりだ。その前原大臣がダム建設を中止すると発言したことを、地元の人たちと関係者は「神経を逆なでするような」ことと非難している。この言葉の強さから、あたしが思うに、今さら話し合いとか、謝罪とか、住民への保障などで解決できる機会はとっくに失われ、よほどのサプライズな出来事がなければ解決する可能性はほとんど無いだろうと思ってしまう。


 民主主義の下では権力を持つものが政策を進めようとすると、たとえそれが正しいあり方ではないかと多くの人が思えるようなことでも、やはり巨大な国家権力に対する抵抗はすさまじく、常に批判されやすい。マスコミもまたそうした記事や報道が「弱きを助け強きをくじく」の精神に則ったものと考えている。


 50数年もダム建設の抗争に巻き込まれ、ようやく安住の地に生活できそうだという矢先、降って湧いたような国土交通大臣のダム建設中止発言。過去のいろんないきさつから見ても、今は「八ッ場ダム建設中止の撤回」を叫ぶ住民の方が明らかに弱者であることは間違いない。自公政権の下では「八ッ場ダム建設中止」派が弱者であった。政権交代とは、時と場合によってそれぞれの立場を180度変えてしまう魔力を、好むと好まざるとにかかわらず、すべてに及ぼすものである。


 八ッ場ダムの建設中止によって、今までつぎ込んだ税金(この中にはあたしたちの納めた税金も含まれている)が無駄になる、工事が7割がた完成し、建設を取りやめるターニングポイントをはるかに過ぎている、ダム建設によって先祖代々の土地を手放した住民の心情、それらを考えると到底建設中止はできないと建設続行の理由付けがなされている。


 あたしは「ダム建設中止の撤回」派の人たちや多くのマスコミがダム建設による自然環境の破壊についてほとんど言及していないことに驚くのである。ダム建設につぎ込んだ税金が無駄になること、完成間近であること、「ダム建設中止の撤回」派の住民の心情などの前には「自然環境の破壊」というキーワードはそんなに貧弱な、とるに足らぬ軽い言葉であろうか。


 八ッ場ダム建設場所は地盤が弱く、ダム建設には不適当ということが国会で論議されたにも関わらず、建設が強行された。不安定な地盤に建設されたダムによって、完成後も住民が苦悩している奈良県の大滝ダムをみるがいい。イタリアではバイオントダムがやはり軟弱な地盤のために地すべりを起こし、下流に住む2000人もの人が死んだ。中国の三門峡ダムは黄砂が堆積し、完成から2年で貯水池が埋没した。アスワン・ハイ・ダムでは下流への土砂流下減少により河口付近の砂州が痩せてきた。ダム湖に土砂が堆積し、下流域では水量の減少により生息していた生物が絶え、川漁も下火になった。河口付近の海岸線に変化をきたし、海底では磯焼けの現象が起こっている例が日本国内のあちこちで見られる。


 もし八ッ場ダムが建設され、不幸にもダム湖周辺の地すべり、下流域の川の汚染、河口付近の砂州の減少や海底の磯やけなどの事故が引き起こされたとしたら、一体誰が責任を持つのであろうか。ダム建設にかかわりあった政治家や業者、それにあたしたちですらすでにこの世にいないかもしれない。将来に安全を担保する者がいなくて、どうしてあたしたちの子や孫やその子孫に安全な環境を残してやることができると確約できるのか。地盤が弱く土砂崩れを起こす恐れがあるということは、それが発生する可能性がゼロではないということだ。そういう可能性をゼロにするために、その原因となる構造物を造らないという方向性を選択すべきではないのか。


 現在、日本では約140のダムが建設あるいは計画中だという。これを含めた日本のダムの総数は約3000。日本ではダムの堤高が15m以上のものはハイダム、それ以下をローダムと定義しており、日本の基準ではハイダムをダムの基準としていることから、川を寸断するという働きからすれば、ローダムも同じで二つを合わせれば一体どれほどの数があるのだろうか。


 山地が70%以上を占める日本において河川の果たす役割は、ちょうど人間の血管のようなものである。むやみやたらと造られたローダムは川の流れを止められ、人間の下肢にできる静脈瘤のようなものである。莫大な税金を投じて造ったハイダムは、おなじく人間の胸部動脈瘤だ。満身創痍の日本の河川をこれ以上痛めつける権限は誰にもない。


 このダムが無ければ、多くの人が生命の危険にさらされ、かつ将来にわたってもその恐れが継続するということであれば、建設の必要性について議論することは求められるだろう。今マスコミなどが盛んに報道する中に「八ッ場ダム」本来の建設意義が論じられることは少なく、ダム建設の抗争に翻弄された住民感情だけを突出させて報道しているように感じられ、あたかもダム建設を後押ししているようにみえる。


 昭和28年、九州の筑後川が氾濫し、流域に大洪水を起こした。それを契機に治水、利水、発電の多目的として、その上流に下筌ダムが計画された。しかし当時の建設省との交渉過程で国の役人体質に翻弄された地元住民の怒りは頂点に達し、「蜂の巣城」という建設反対のシンボルというべき砦をダム建設予定地の急峻な山肌に築いた。室原知幸氏が中心となり、ダム建設反対を6年間続けたが、外部からの支援者の中に当時の「建設省」や「九州電力」の息のかかった者が紛れ込んで反対派住民を分断させ、なおかつ支援者の中に住民の思惑とかけ離れた「反政府運動」の活動をするものが現われたために弱体化したという。これはあたしがまだヨチヨチ歩きの頃に祖父が話しているのを耳にしたのである。


 90度近い山肌に掘っ立て小屋のような「蜂の巣城」がへばりついているのを、あたしは祖父母の家に遊びに行った時に目にした。無数のボロきれのような旗が風になびき、ひしゃげたトタンに赤ペンキで乱暴な字で「反対」と書きなぐっていた異様な風景を今でも鮮明に覚えている。風向きによっては、その「城」からなんともいえぬ臭いがしてきた。建設省の役人が測量にきた時に反対住民が上方の「蜂の巣城」から汚物をまいた、そして流血騒ぎも一度や二度ではなかった、と祖父は教えてくれた。


 最近のダムは治水、利水、発電と共に「観光資源」としての側面を持つようになった。「八ッ場ダム」において建設中止反対派の住民の中にはそれを強調する人もいる。あたしがちょくちょく遊びに行った祖父母の家があった下筌ダムあるいは少し下流の松原ダムにしても、車で通りかかる人が少し休憩のためにえん堤に駐車することはあっても、ダム湖を見るために来る人はほとんどいない。ダム建設で走りやすくなった道路を通って、4キロ離れた杖立温泉か、10数キロ離れた鯛生金山、20数キロ離れた黒川温泉を目指しているのである。ダム建設地周辺に主だった観光資源は無かったが、自然はふんだんにあった。ダムによってできた人造湖があるだけで観光客を引き付ける時代ではなくなってきたのだ。人の手が加わらない自然のままの温泉地や、交通に多少不便だが自然を満喫できる方向に人の心は変わってきているのだ。岡山の湯原温泉はその川のすぐ上流にダムの巨大なコンクリートの壁が立ちはだかっている。圧迫されるような風景に川べりの露天風呂に入る気になれず、あたしは早々に退散した。コンクリートの壁さえなければ、どんなにすてきな温泉地であろうかと思ったものだ。


 ずっと昔、祖父母の小さな藁屋根の家があったその地を、あたしは数年一度の割合で尋ねる。しかし、それは青い水の底でどのような形を保っているか想像もできず、その座標の上に立つこともできない。たとえ新しい土地にぴかぴかの家を建てても、あたしの心は祖父母が遊んでくれた「ふるさと」にも等しい、あの藁屋根の小さな家を探しにいく。多目的ダムという立派な名がついているけれど、本当にこのダムは人間の幸せに貢献したのか、今でも貢献し続けているのか。もし可能であるなら、このダムのコンクリートの壁を取り崩し、膨大な量の湖水を流して、人造湖の底にある祖父母の小さな家を探し当てたい。
 

 下筌ダム建設のためにその地を離れて40年後の今、あたしが「ふるさと」に感じていることを、「八ッ場ダム」の住民の人たちは、再び数十年後に同じ様に感じることになるのであろうか。今の「八ッ場ダム」の有様を見て何ともやり切れぬ思いを抱くのである。

2009年9月21日月曜日

ドイツのオクトーバーフェスト

 政治のあれやこれやにいちいちカッカしないで、あたしも普通の人のように昨今の話題に参加したい。というわけで今日はドイツのミュンヘンで「オクトーバーフェスト」が9月19日に始まったという話。

 有名なお祭りだから知っている人も多いと思うけど、わずか2週間ほどのあいだにミュンヘン市だけで600万人以上の人が訪れるなんてすごいね。平均15日間開催だとしても1日平均40万人(!)もの人が来るんだ。ミュンヘン市以外でもラインキルメスやフライマルクト、カンシュタッター・フォルクスフェストなどでも200~300万人が訪れるというからこれも驚きだ。

 オクトーバーフェストは1810年に行われたバイエルン王国での結婚式が始まりだというが、その時あわせて開催された競馬の日が最初だともいわれている。これ以後、古代のオリンピックのような競技会が開催されて、近代オリンピックの基本にもなったという。主としてソーセージ片手にビールばかりガブガブの飲む今のオクトーバーフェストとはやや趣が違うようだ。

 オクトーバーフェストの会場は東京ドーム9個分に当たる42ヘクタール。そこには移動式の遊園地や日本の屋台にあたる模擬店などもある。固定式巨大テントには一つで1万人が入れるそうだ。そのほかにもビール会社や個人のテントが14,5棟設置される。会場に駐車場は申し訳程度しかないから、ほとんどの客は地下鉄やタクシーを利用することになる。もちろん、アトラクション以外の入場料は無料だよ。

 毎年ビールを飲みすぎて気絶する若者がでるという。こういう若者のことをビアライヒェン(ビール死体)と呼ぶらしいね。少々アルコール分の強いビール(オクトーバーフェストでは度の強いビールが提供される)を飲んだらトイレは必須。男性は小用であればトイレ“ピッソワール”(Pissoir)を利用するように求められる。少し傾斜のついた溝に向かって一斉に事を済ますのだが、その土手にずらりと並んで放尿している壮観さ。アルコールで熱くなった体から開放された液体から立ち上る湯気を吸わないようにしてしても、はるか遠くのほうから溝を伝って怒涛のいきおいのように流れてくる黄色い液体の湯気に巻かれて、途中で切り上げてくる者もいるという。達成感のない顔して戻ってくるのを想像したら笑っちゃうね。

 個室用トイレではなぜか中で携帯電話を使う人が後を絶たないらしい。そうすると用足し以外に余分な時間がかかり、入り口付近のトイレ待ちの人の行列がさらに長くなるわけだ。そこで当局はトイレ周辺では携帯の電波が届かないように機器を設置したかったけど、法的にムリだとあきらめた。会場でなぜ携帯が使えないかというと、周りの騒音だ。数十万人の酔っ払いが、勝手なおしゃべりをしている。伝統的な民族舞踊の曲が流れている。ウワーンとした騒音で満たされた会場内で、携帯の会話ができる唯一の静寂な空間がトイレというわけだね。

 600万人が訪れ、600万リットルのビールが消費されるこの祭典では、やはりというか当然というか不祥事は起こる。1980年には会場入り口のゴミ箱でパイプ爆弾が爆発し、13人が死亡した。こんなオドロオドロしいことでなくても、毎年酔客同士のケンカはよくあるらしい。酔った者同士がお互いに、オレは酔ってないアタシはシラフだと強情の張り具合を披露したあげく、相手の顔にうまくパンチを当てることが出来るか、それをアルコール検知器の代わりにしたらしい。なんともアホらしい出来事だね。酔っていたため抑制が効かず、まともなパンチが互いの顔に炸裂し、救急車で運ばれた。日本人のそれと違って相手に恨みがあるとか憎いとかが原因でないのが、外国人の酔っ払いらしくて、ある面でほほえましい。いずれにしろ酒癖の悪い人間はどこの国でもいるんだ、って安心するけどね。

 今年、オクトーバーフェストではビアマグ一杯の値段が日本円で1000円~1200円。若干高めの濃いビールを飲んで、酔った勢いで上半身裸になる人もいるという。そんな人を被写体としてカメラなどで撮ると罰金が課されるというから、露出狂みたいな破廉恥なことをする人間は男だけではなさそう。日本の殿方よ、今からでもミュンヘン行きのチケットは取れそうだよ。急いで、急いで。

 日本でもオクトーバーフェストと銘打ったあるいはそれに準じたお祭りはあるよ。過ぎてしまったものもあるけど、「仙台オクトーバーフェスト」「富士桜高原ビール祭り」「秋の収穫祭(日比谷)」「ジャパン・ビアフェスティバル横浜2009」「恵比寿麦酒祭」。ミュンヘンのそれと比べたら、可愛いもんだけどね。ちょっと気になったけど「日比谷オクトーバーフェスト2009」というお祭りは確かにビールを飲んだりするのだけど、開催日が5月下旬なんだよねー。「オクトーバー(10月)」という名づけはまずいんじゃないかなー。完全なパクリだよね。そんな細かいことビールで流しちゃえ、か。

2009年9月20日日曜日

せっかちなマスコミに告げる

 鳩山政権が発足して今日でまだ4日。なのにマスコミはどうしてせっかちに結果を求めようとするのかね。鳩山政権の柱に脱官僚依存を目指すという、考えてみれば明治維新にも匹敵する画期的な政治の変化なのに、与党の民主党連立政権に対し、かっての自公政権時代と同じようなレベルで批判を投げつけている。

 「官僚の記者会見を禁止」と言えば、国民の知る権利が損なわれると言い、「八ッ場ダム建設中止」を打ち出せば、長年争いに翻弄され続けてダム建設を受け入れた地域住民の心情を踏みにじるものだと記事に書き、温室効果ガス25%削減を打ち出せば、排気ガスを増やす要因となる高速道路無料化との整合性はどうなんだと鬼の首でも取ったようにテレビで放映する。

 はっきり言いましょうか。鳩山政権が発足してまだ4日だよ。任期の4年間を100メートル走に例えれば、あのウサイン・ボルト選手でさえ、まだスタートラインから1mも走っていないんだ。その時に「どうですか、優勝できそうですか、記録はどのくらい出そうですか?」と尋ねるならまだいい。「アンツーカーが滑りやすそうですね、足の動きが重そうですね、靴が脱げそうですがリタイアします?」と声をかけるようなもんだ。スタートしたばかりで具体的政策はこれから立案するという段階で、出鼻をくじくような報道の仕方は感心できないよ。まあ、走っている最中に無用な声なんぞかけるもんじゃないけど、どうしても声かけしたいのだったら「ガンバレー」だろう。なかには馬鹿な野次馬が「何で出てくるんだ」「コケてしまえ」とかヤジを飛ばすかもしれないが、一流のマスコミはそんな下品な野次は飛ばさないもんだ。任期の4年、100m走ならばゴールした後の結果で思いのたけをぶつけたらいいじゃないか。

 それじゃ遅いんだというのであれば、少なくとも3ヶ月あるいは半年間ほどは見守るべきじゃないのかね。オバマ米大統領だって就任後100日経って良識あるマスコミは初めて評価したっていうじゃない。

 今、マスコミがこの政権に対して投げかけるものは多くが仮定のものだ。こんな質問にも丁寧に答えようとする議員が民主党に多い(誠実な議員がいるという証拠でもあるけどね)が、仮定の質問には答えられないと言えば良いじゃないかね。自公政権のとき、自民党の閣僚がよく使った手だけどね。政権を司るというのは、行動と共にその発言にも100%責任を持つということだ。一部のマスコミみたいに責任の所在があやふやな一方的垂れ流しの報道では、視聴率は稼げても到底政権運営は出来ません。これはスタジオでふんぞり返って、脱官僚依存という国民が望んでいる大きな変化には眼をつむり、人事なんかのささいなトラブルを針小棒大に取り上げるオタクコメンテータにも言えることだよ。

 あたしがもっとも怒っているというか、不思議に感じるのは、無血革命にも等しい「政変」を国民が望んで民主党を選び、その政権が動き出したというのに有権者の多くはどうして冷静、無関心でいられるのか、ということ。ずーっと昔のちょうちん行列みたいなことをしろとは言わないが、こんどの政権交代は、かのフィリピンやミャンマーとかで起こった政変と同じくらいあたしたちの生活にインパクトのあるものなんだよねー。それなのに、このシルバーウィークは例年と同じ様に1000円乗り放題の高速道路を我が車でぎゅうぎゅう詰めにして、排気ガスをまき散らしている状態だし、新幹線ではハリボテの運転席でいい大人が子供と一緒にキャアキャア騒ぎ、リンゴの産地で九州ナンバーの車の家族がリンゴの生もぎを楽しんでいる。ようやく政権交代という高額の宝くじを当てたのに、本人はそんなことには思い至らず、今日も明日も昨日と同じ様な時間が流れると思っている。

 1日に100人以上の自殺者がいるという先進国(?)日本。摩訶不思議なこの国の未来が、まさに今から決されようとしている時に、あたしたちが今までの生活を思い返して、脱官僚依存の政策に呼応出来るような行動ができるのじゃないかと、あたしのささやかな脳細胞は訴えている。

2009年9月17日木曜日

酒井法子被告の保釈

 17日に酒井法子被告が保釈されたけど、これを放送するテレビ局の対応は気違い沙汰だと思うよ。おりしも鳩山政権が発足した翌日で、この世紀の政権交代で誕生した新閣僚のニュースの方が、今の日本国民にとって何倍も報道する価値があるものなのに、それを無視してダラダラ保釈の生中継を続ける民放のバカ騒ぎはいったい何だい。記者会見場には500人もの報道関係者が集まったというが、それこそクレージーだ。日本のテレビはすべて芸能テレビに成り下がったのかい。さらに「おめでとう」という垂れ幕を掲げている人たちは「めでたい」という言葉の意味をじっくり考えたことがあるのかい、とあたしは言いたい。

 清純派で日本だけでなく国外でも人気のある人が、不覚にも興味本位で覚せい剤を使用してしまいました、というのと違うんだよ。数年間にわたって覚せい剤を使用した常習犯というじゃないか。ましてや覚せい剤撲滅キャンペーンに一役買って出たこともあるという確信犯的な行動は、到底許されるべきものじゃない。それらは国内外のファンに対する裏切り行為だよ。17日の酒井被告がそれほどの重責を負っていると本人のみならず熱狂的なファンや報道関係者が共に自覚しているのならば、保釈時の態度、迎え方、報道の仕方にもっと工夫があってもいいのじゃないかと思う。

 拘置所から出てきた酒井被告の謝罪の言葉は正直言って、覚せい剤を常習していた心からの反省の言葉とは思えなかったなあ。なにか作られた映画を見ているようだった。彼女の保釈時の服装、よどみなく出る謝罪の言葉は逮捕前の逃亡歴を考えると、これもシナリオ通りかなと考えてしまう。保釈された酒井被告の車を追う報道関係のバイクや車はまるであのパパラッチと同じだ。中には一流の新聞社やテレビ局のものもあるだろうに。 

 夕方18時台の民放テレビでは、全ての局が酒井被告の記者会見を延々と生中継するという、あきれた対応をしている。彼女に向かって限りなくたかれる無数のストロボを見ていて、ああ、鳩山内閣の記念撮影のストロボと同じだ、とあたしは気がついた。報道の価値には雲泥の差があるけどね。しかし、あたしは酒井被告の会見を見ていてポケモンショックに陥った。頭痛がして吐き気がしてきたんだ。つまらない記者会見に無駄な視聴時間を費やしてしまったという後悔の念が、ポケモンショックを誘発したともいえそうだ。

 酒井被告が保釈された事実をニュースとして流すのは、覚せい剤にかかわった芸能人の重大な出来事として理解できるが、演技がかった記者会見を、通常番組を変更し、貴重な電波を使ってまで長時間流すことはないだろう。第一、まだ裁判前なのに、こんな記者会見でスクープになるような情報が出てくるはずがないじゃないか。こんな記者会見は通常のニュース番組でダイジェストとして流せば十分だ。保釈保証金を分割して納付したり、鳩山内閣の発足に合わせて保釈の日程を組んだとか、こんな訳の分からぬ情報が流れた後だけに、酒井被告の謝罪の言葉や記者会見、はてはメンタルの面で入院するといったことが素直に受け取れないあたしだよ。

2009年9月15日火曜日

またか!ガムくちゃ市長

 7月12日の市長選で民主の推薦を受けた奈良市の仲川げん市長(33)が、9月11日の本会議の議場で、ガムやアメを口にしながら答弁していたという。咳き込む体質で「咳き込んで議会を中断させてはいけないと思った」と言うが、33歳のいい大人が、馬鹿かとあたしは言いたい。水を多めに用意するとか(後になって言っているが)、会議前にうがいをしておくとか、咳止めを事前に服用するとか、ちゃんとした大人なら思いつくことはたくさんあるじゃない。あんたは子供か!と言いたくなる。

 全国で2番目に若い市長だともてはやされて、市民の期待も大きかっただけに、公共の場でのこんな振舞いに、大人の発想ができない新市長に失望したのはあたしだけだろうか。就任後、初の定例議会の一番大事な時に、やっていいことと、いけないことぐらいわかりそうなものだ。幼稚園児や小学校のボンクラ生徒のことをいっているようで、あたしは恥ずかしい。でも続ける。

 あたしは前に、ガムくちゃしながらサッカーをやっていた選手がガムをのどに詰まらせ、救急車で運ばれたことを書いた。で、ガムくちゃしながらゲームをしているスポーツ選手を非難した。やがて相撲界にもその波が押し寄せるだろうと思っていたら、それを飛び越えて政治の世界にも浸透し始めたのかなと、モラルの崩壊に恐ろしくなる。

 重要なことは、こういうことが議長の注意を受けるまで、良いことか悪いことかが判断できない市長は市長たる資格がない、ということだ。あたしの感情としては即刻辞めて欲しい、と思ったほどだ。

 この出来事はテレビの全国ネットで報じられた。全国で2番に若い市長誕生とさかんに報道された後だから、「年齢の若さイコール若気の至り」と思われたかもしれないが、公職であるからにはその責任は重いよ。仲川市長は、推薦した民主党に泥を塗ったのも同然だ。

 しかしなあ、漠然とした不安が的中したようでいやだな。あたしは7月12日に仲川市長の当選の「喜び」のインタビューを見たとき、全体的にぼーっとした印象で、失礼ながらこんな人で大丈夫かいな、ひょっとしたら奈良市議会がわざとこんな人を当選させて、市議会の思い通りに運営したいのかな、と思ったくらいだ。

 仲川市長はガムくちゃ事件の前日の10日の本会議代表質問でも、副市長への質問に勘違い答弁したというじゃない。若さだけで競うといったって精神年齢の若さで競うわけではないんだよ。いくら就任間もない始めての経験だとしても、市長としての最低限の資質を兼ね備えたであろう人物ということも、市長を選ぶ条件に入っているんだ。市長は1人しか選べないから、この資質は必須条件だ。推薦することによって、それを民主党が保証したわけだ。

 国会議員選挙はもちろん知事選や市長選などに立候補しようとする者は、なにより資質を重要視したいね。資産とか血筋とか、その地の名士というだけで資質も兼ね備えていると勘違いして、ミスキャストをすることは多いはず。

 民主党も推薦した手前、仲川市長をかばいたいだろうけど、毅然とした態度を示してほしいな。

2009年9月11日金曜日

「駆け込み」という名の犯罪

 「天下り根絶」を掲げる民主党の政権交代を見越してあるいは現実になって、官僚たちの「駆け込み天下り」が相次いでいるのをなぜ阻止できないのか、あたしは歯がゆく思う。

 元国土交通事務次官の峰久幸義氏、銭谷真美・前文部科学事務次官、鈴木隆史・前特許庁長官、事故米転売で引責辞任した白須敏朗・前農林水産事務次官らがそれぞれ天下りしている。そこで高額な給与と退職金をもらい、ますます無駄な税金が使われる恐れがある。

 天下りだけではないよ。09年度の補正予算を民主党が執行停止するのを見越して大慌てで執行しようとしている輩がいる。本来なら年度末に残った予算で贅沢な使い方をするのに、今年は急いで消化しようとしている。これも「駆け込み」の予算執行だね。

 高速道路やダムや無意味なハコモノ建設でも「駆け込み」の精神は残っているみたい。「もう建設に手をつけてしまって、8割がた出来上がっている。今中止すると、今までつぎ込んだお金がムダになる」という常套句はたくさん。こういうものが完成して、その後維持するための費用、それも高額な人件費が大部分を占める経費がどのくらいかかるか、知れたもんじゃない。

 いま話題になっている八ッ場ダム。ここにはすでに9000億円近いお金がつぎ込まれている。最初2100億円の事業費が4600億円に膨れ上がり、基金事業費と起債の利息を含めると8800億円になるという。ここも最初は建設反対の嵐が吹き荒れたんだって。そこで全く建設が進まないダムの代名詞として「東の八ッ場、西の大滝」と言われるようになった。奈良県の大滝ダムは2002年に完成して、試験貯水をしようとしたところ、斜面に亀裂が発生し、居住地域の家屋にも亀裂が入り、そりゃ深刻な状況になったんだ。その後、一部の住民は仮設住宅へ移転を開始した。今では最低限の水位を保ちながら暫定的に運用を行っているが、2009年(平成21年)までは地滑り対策が行われるため完成は遅延している(Wikipedia)という。何千億円もの費用をかけて、いまだに試験運用だよ。本当に必要なダムだったのか怪しいね。

 八ッ場ダムの建設地は「ダムの基礎地盤としてきわめて不安定」(1970年(昭和45年)の第63回国会、衆議院地方行政委員会)と指摘されているんだ。国土交通省は地質調査の結果から問題ないと言っているが、この経緯はさきの大滝ダムの時と全く同じ。当時の国土交通省に対する安全の担保はちゃんととっているのか、大滝ダムと同じ様なことにならないのか、あたしは心配している。

 行政に翻弄されて、ようやく納得して移転した住民の気持ちを考え、さらに巨大なコンクリートの柱が立ち、周辺の道路が整備され、後は本体の工事に取り掛かるだけで完成すると聞かされると、今までつぎ込んだ費用などもあわせて、ここまできたら作ってしまえとなる気持ちを完全否定するわけではないけど、もっと広く考えて欲しいことがある。

 ダム本体を作るとなると、自然環境に対する莫大な負荷が発生するのをご存知ですか。ダムの周辺だけでなく、下流やさらに利根川流域の自然環境にも影響を及ぼす。すでに上流にダムが出来たため、周辺の自然環境が変わり、下流域では漁ができなくなったし、海底の様相も変化した情報があちこちで聞かれるね。これらは金銭では解決できない、人類の大きな損失になるのだよ。

 ダム本体の工事はすごく時間がかかる。その前にダム工事反対の住民をあの手この手で懐柔し、宅地を造成し、道路建設に着手し、トンネルを掘りかけ、後戻りできないよう、なおかつこれらが完成しないようにしてから、ダム本体の工事に取り掛かるという、巧妙なスケジュールでダムを完成させようとしているんだよ。いうなれば出前ラーメン屋の「先ほど出ました」と同じ。八ッ場ダムはその典型だ。そういう意味あいで言えば、八ッ場ダムも民主政権ができそうだと判断したギリギリの「駆け込み」工事ともいえる。

 無駄なダムを作らない、治水をダムに頼らないということは、地球温暖化対策と通じるところがあると思うよ。あたしたちだけでなく、あたしたちの子供や孫やその先の世代に、今よりもっと良い環境を残していこうと誰しも思うんじゃないかな。そうするためには何が一番良い方法か、おのずと答えは見つかるはずだよね。

2009年9月10日木曜日

鳩山代表の温室効果ガス削減について

 民主党の鳩山由紀夫代表が2020年時点での日本の温室効果ガスの削減目標を「1990年比25%減」と明言したことに産業界などからは早速反発の声があるというね。

 産業界の偉い人たちは、なぜ温室効果ガスを削減をしなければならないかその理由は十分に分かっているはず。だけど自分が生きているうちは、右肩上がりの業績を残したい、金を儲けたいの2点に没頭している。いくらかでも削減しようとする気持ちが態度に少しもみられない。

 麻生総理は6月に温室効果ガスの削減目標を「05年比15%減」としたが、これは90年比8%減に等しい。05年比としたのは削減数値を高く見せたいがための姑息な方法だ。こういう場合の削減数値は生半可な数字では効果が無い。出来ることなら100%削減がいい。でもそうなると一気に卑弥呼の時代まで戻ってしまうから、それは出来ない。

 数字の出し合いで政策の優劣を決めるようなそんな次元の低い問題ではないけれど、少々の削減では効果が無いことは先に述べた。専門家にお願いしたいのは今の時点で温室効果ガスをどのくらい減らせば、地球の温暖化をストップさせ、なおかつあたしたちの生活への影響が最小になるのかを損得抜きで考えて欲しいのである。極端な温室効果ガス排出削減は家庭の負担を年間36万円増やす、と経済界のお偉方は言ってるけど、何がどう増えるのか具体的なことが分からない。素人考えでは、あたしたちの生活レベルを30年ほど前に戻せば、増加が止まりそうな気もするなあ。もちろん先進国も発展途上国も同じレベルにしてのことだけど。発展途上国は現在の地球上の温室効果ガスは先進国が排出したものだから一律の規制には反対しているが、そうであれば自身の国の周りを国境に沿って成層圏まで届く高い壁を作り、自国の排出したものは自身で勝手に処理したらいい。


 もし、大気における温室効果ガスの増加に対して何も対策を講じなかったら、地球は早晩、金星のようになってしまうかもしれないことをご存知かな?金星は大きさも重量も密度も地球とほぼ同じ。太古の金星は地球と同じ様な組成の大気を持っていたらしいが、地球のような海が無かったため、数多くの火山から排出される炭酸ガスを吸収できなかった。結果大気の96%が炭酸ガスいわゆる温室効果ガスで占められ、地表の温度は460℃という高温になっている。地上40~70kmのところには厚い硫酸の雲が金星の表面を覆っているため地表は地球から肉眼で見えない。


 何十億年後か地球も同じ様な運命を辿るという。このまま地球上の温室効果ガスの排出を抑制しなかったら、わずか数百年後には人類が生存していくには非常に厳しい環境ができてしまうということだ。そして数十億先と言われている数字も、今の状態ではさらに年数が短縮され(それも劇的に)、金星と同じような地球が存在することになる。専門家は地球の消滅は数十億年後としているが、あたしは温室効果ガス削減に対し、各国がなんらの対策もとらなくて今の状態なら、地球の老化減少は急速に早まり、何万年後には地球上の生物はすべて滅亡していると思う。当然それ以前に人類は滅亡しているはずだよ。確かめようが無いけどね。


 あたしたちはわずか数十年の間に、かって経験したことのない自然の猛威を何度も目の当たりにした。そして今は毎年のように異常な災害に直面するようになった。人類が関与して排出する温室効果ガスの地球温暖化に対する影響は自然界の影響(たとえば太陽の放射線など)の10倍以上といわれる。あたしたちは自然界が数万年かかって地球に及ぼした変化をわずか百年ほどで達成してしまった。これが地球にやさしい変化なら歓迎できるだろう。しかし地球温暖化に寄与したのであれば、自戒も含めて、なにおかいわんやである。
 
 産業界のお偉方の頭にこびりついてる「温室効果ガスの極端な削減は産業の発展を妨げる」という考えは、地球上の人類滅亡の前には何の説得力もないだろう。第一、毎年右肩上がりの業績が業界の目標に掲げられること自体が間違っている。もしそうであるためには、資源が増え、消費人口も増大しなければならない。そうなるためには地球そのものが大きくなる必要がある。なぜなら石油などの資源は枯渇が目前で、地球上の人類も80億人が限度と言われている。それはあり得ない。ある時点で産業界はその活動をフラットにするか、あるいは下降させなければならない。好むと好まざるとに関わらずこれは必然だよ。

 たしかに産業界の隆盛で生活は便利になった。しかし今後は不自由でなければ、ある程度の便利さを抑制しないと、あたしたちの時代はまだ(?)いいが、子や孫やその先の世代に過酷な生活を強いることになるかもしれない。

 今のように温室効果ガスの排出削減ついて各国が効果的な対策をとらないならば、この地球は幾何級数的に大気中の温室効果ガスは増え、後戻りできない自然環境の破壊に突き進むのは明らかであろう。そのターニングポイントが今なのである。

 鳩山代表が明言した25%削減は、全ての主要国の参加による合意が前提になっているが、こういう前提を必要とするほど今の世界各国の温室効果ガスの削減への取り組みは、混沌としていることに危惧を抱く。でも非常に深刻な問題を先送りせずに、鳩山代表が大胆に提案したことにあたしは敬意を払いたい。前提がついてるじゃないかとか重箱の隅を突くような批判があるけど、全世界で取り組まないと意味の無いことだから、批判の的は外れているよ。

2009年9月8日火曜日

首班指名、公明党の新代表を書いたらどう?

 自民党は16日の首班指名で誰の名を書くかもめているね。白紙で投票がいいとか、いや白紙は国民に対する裏切り、職場放棄だとか。一般的には総裁の名前を書くべきだろうね。でも選挙惨敗の戦犯でかつ辞任を表明したから、おかしくなっちゃったんだ。で、今麻生総理が16日の首班指名の前に辞任するというニュースが飛び込んできた。とすると、これから言うあたしの案も現実味を帯びてきたなあ。今日の両院議員総会でどうなることやら、今まで長期にわたって政権を担ってきた政党らしからぬ有様だ。石破農水相の言わんとすることもわかるし、若手の議員の言うこともわかる。でも、そんなことは国民の目から見たらホント、コップの中の争いだ。もっと次元の高い論争が欲しいね。エエーイそんなことなら私が立候補すると言う人が今の自民党にいないのが寂しいな。

 あたしに名案がある。公明党の新代表の名前を書くんだ。自民党と公明党は今まで一蓮托生で政権を担当してきたんだ。甘いも酸いも噛み分けた仲じゃないか。ここで公明党から受けた義理を果たしてもいいんじゃないかと、あたしは思う。どんな時でも仲良く手を組んで困難を乗り越えて来た。お互い助け、助けられて、今日の自公がある。自民党は今までの首班指名で公明党に協力してもらった。16日の首班指名選挙はその恩を返すいい機会じゃないか。

 あらためて言うよ、自民党員の名前を書けないとしたら、同じ与党の公明党新代表の名前を書くべきじゃないのかな。これが一番筋が通っていると思うよ。公明党も10数票(おそらく)よりも百票こえる票を集めることが出来たら、たとえ野党に転落しても、お互いメンツが保てるんじゃないかな。この結果は、将来自公が再び政権を奪還するための力になるかもしれない、かも。票数は国会史にも残るしね。

 自民党が党内だけで「白紙」か「誰かさん」かに決めたとしても、自民党の中ではお互い禍根を残すと思うよ。

 

2009年9月6日日曜日

マイケル・グリーン氏は親日派か?

 今日は少しばかり小うるさいことを書くよ。

 読売新聞9月6日付朝刊第一面に「民主に注文(1)」というタイトルのシリーズ物が載っている。タイトルが「民主」ではなく「民主」であることが第一胡散臭いけどね。

 6日のそれは知日派という触れ込みのマイケル・グリーン氏の談話だったが、手始めに彼は民主党は外交政策に「首尾一貫した国家戦略を打ち出せないできた」と言い、政権公約も「一品料理」だけで「コース料理」がないと民主党に軽くジャブを浴びせかけている。そして「日本が日米同盟かアジアのどちらを選択しなければならないというのは民主党の幻想」と決めつけている。「ニューヨーク・タイムズ(電子版)に掲載された鳩山代表の論文は・・・山の手前に自ら墓穴を掘ったようなもの」とも言っている。「インド洋の給油活動をやめても、日米関係は危機に陥らないが」しかし「(日本は)真剣なプレーヤーとして見なされなくなるだろう」と続く。

 あたしは彼の言ったことについて、一つひとつ反論するつもりはないし、そんな無駄な時間はない。ただ新聞紙上にマイケル・グリーン氏が自らの意見として発表し、その中に納得できない事項が含まれていれば日本国民として反論する機会は与えられるだろうと思う。

 ニューヨーク・タイムズが日本の月刊「Voice」に掲載された鳩山論文を米通信社が無許可で抜粋、転載したという疑惑が生じていることをご存知かしら。前後の脈絡も不明なまま、米にとって都合のよい(反米的な印象を米国民に植え付けられると思うような)文章だけを切り出し、掲載したとしたら他の疑惑ともあわせて、日本国民はその意図するところを究明しなければならないだろう。鳩山論文の全文を読めば、これが日米同盟かアジアかという二者択一を迫っているのではないことは明らかである。ただ日米を対等な関係に戻そうと言っているだけのことである。マイケル・グリーン氏は「選択」すること自体を「幻想」と言い切っているが、これは日米同盟以外に日本の道はない、と言っているのも同じであるよ。これこそ日本を日米同盟の鎖にがんじがらめに縛り付けるものではないのかしら。もちろん鳩山論文は日米同盟の是非についてはNoともYesとも断定はしてはいないけど。

 インド洋の給油活動を止めたら「真剣なプレーヤーと見なされなくなるだろう」とはどういうことだろうね。「米監督の下でのみボールをけり続けなければ」という断りをつけてわかる意味か、だとすればその後に「給油でなくともかまわないが、日本が指導的な役割を果たしていると世界に印象づけることが重要だ」と言っているが、先の文章と矛盾しないかね。

 まだ政権も発足していないのに、彼の発言には、日本国民であるあたしたちが選んだ政権に対し、侮辱的なものが含まれている。「民主党が政権の座について、「よく下調べもしないで[外交上の]要求や約束をするようになったら」や「[政権を握ったら話は別]と割り切った先例に学ぶべき」とはどういこと。毎晩ホテルの高級バーで飲んだくれの麻生ちゃんのように勉強しないでサインしたらダメということ?それは麻生ちゃんが去年2月、ロシアのメドベージェフ大統領と会談して、帰属未定だったサハリンをロシア領と認めるような軽薄な行動をいってるのかしらん。「政権握ったら話は別」とはおおぴらに政権公約反故を勧めているのかしらん。ここは日本の小泉元首相の「公約を守らないことぐらい大したことではない」と符号が一致するね。自国のオバマ大統領が就任する前に、外国のメディアから同じようなことを言われたらどう思うかね。

 マイケル・グリーン氏は知日派であるかもしれないが親日派ではない。

 あたしは、事実と思われないこと、あるいは自分たちが選んだ政権をコケにしていると思われるようなこと、または作為的に日本の国益に反する方向に国民を誘導しようとしていることには徹底的に戦うよ。

2009年9月3日木曜日

自公はとんでもない人を総理に選んだことよ

 麻生首相は9月2日、特別国会の総理大臣指名選挙で「麻生太郎」と書くことに自民党から異論が出ている点を記者団から問われて、返した言葉には一国のトップとしての品位のカケラもなかったね。

 質問した女性記者に「頭の整理できた?」「よし」などと捨て台詞を残していく様子をみると、この人に総理、いや国会議員の資質さえあるのだろうかと思うのはあたしだけだろうか?いくら選挙でボロ負けしたと言っても、今日現在まだ日本の総理なんですから品位は保ってももらわなくちゃ。まるで子供だね。だからあたしは麻生ちゃんて呼ぶんだ。

 麻生ちゃんが去年9月の自民党総裁選挙で527人の選挙人のうち351票を集めて選ばれたんだよ。得票率67%だよ。あっ、67%といえば郵政選挙の投票率と同じだ。そして国会で自公が一緒になって総理に選んだ。その人が任期終了間際になって女性記者に言うことがこれかね。聞いてあきれちゃうね。こんな人を総裁に選んだ自民党もどうかと思うけどね。

 麻生ちゃんは自民党の総裁にはともかく、総理には向いていなかったんだよ。いや国会議員としても問題があると思う。選挙に負けて腹の立つこと、気に食わないこと、いろいろイヤなことがたくさんあるだろうよ。でもまだ国の最高権力者だ。ぶらさがり記者会見だとしても、そういう場で発言することは日本国民に向かって言ってるのと同じだよ。それが相手を小馬鹿にした様な発言をして、あたしたちが言われているのと同じだ。なぜマスコミはこういう傲慢な態度を取り上げないのかね。もう免疫が出来てしまったか、先も短いからと無視してんのかな。

 考えてもごらんよ、もしこういう人間がアメリカやロシアの大統領だったら、腹立ち紛れに核のボタンを押すかもしれない、と。そのくらい一国のトップに立つというのは最高の資質を求められるんだよ。

 去年の総裁選挙でこの程度の人間しか選べなかった自民党が、今度の総裁選で誰を選ぶか興味あるよ。それによっては自民党が短期間で政権に戻れるか、はたまた分裂していくか、決まるかもね。まあその前に行われそうな、国会での総理大臣指名選挙の関門をどうくぐり抜けるかが見ものだけど。

2009年9月2日水曜日

横浜自民市議団にもの申す!

 横浜の自民党市議団が、民主党推薦だった林文子新市長のあいさつを断っていたという。一人前の大人がすることではないねー。同団の佐藤茂団長が「あいさつをしていただく必要はない」だって。市長選で自分たちの思うとおりにならなかったのでダダをこねる子供だね。

 こういうのを見たり聞いたりするたびに、あの田中康夫元長野県知事があいさつ回りをした時に、当時の企業局長があろうことか、本人やマスコミの目の前で知事の名刺を折って指でしごいてしまったことを思い出す。名刺と言えばいわば本人の分身だよ。この企業局長、なに考えてるんだろう。自分が同じことをされたらどんな思いがするか考えてみたことがあるんだろうか、とあたしの怒りは頂点に達したね。

 程度の差はあれ、横浜市自民議団の場合も、この人たちの心の底には、長野の企業局長と同じような幼稚な恨みや憎しみが渦巻いているんだね。

 どんなに主義主張が自分たちと違っていても、新任のあいさつという社会慣習を「会議中」だの「必要ない」だの挙句の果てには「毅然とした対応をとる」とよくわからん理由で断るなんてあきれちゃうね。こういうのは理屈なしで受けるべきなんだよ。スキとかキライとかは市議会の場でやったらよろしい。

 いろんな考えを持つ人たちが円滑に生活していくためにはその潤滑油として、多くの礼儀があるんだ。市議やってる立派(?)な大人なんだから、こんなこと分かるはず。わかっていながら新市長に恥をかかせるようなことをするのはどういうわけ。横浜市自民議団はこれによってどんな意思表示をしたいの。なんだ、恥だけかかせたいわけか、それでどうなるの、笑っちゃうね。

 市政とか国政に携わる人たちが、低次元の振る舞いで主義主張が違う人たちをコケにするようなことは止めなきゃだめだよ。だから自民党はダメだっていうんだ。先の衆院選挙でボロ負けしちゃって、少しは慎み深い党になったかなと思ったら、一部の(本当に一部か?)自民党議員はまだわかっちゃいない。もし、今回みたいな失礼なことをつづけていたら自民党の再起は望めないよ。もっと大人の付き合いをしろよ、とあたしは言いたいね。

2009年9月1日火曜日

ほら、もう始まった民主党バッシング

 臨時国会も開会されていないし、総理大臣の選出もまだやってないのに、マスコミの民主党バッシングのすごいこと。財源の根拠だの、小沢の院政だの、日米関係がどうのこうの。もう鳩山内閣が出来て、何ヶ月もたったようなニュアンスで報じている。そんなにネガティブな報道するんだったら、民主党に投票した国民に向かって「わしらは自公政権が良かったんだ。自公政権下の社会システムにがっちり組み込まれて、下々から巻き上げた税金が回りまわって、ガッポガッポお金を儲けさせてもらっていたんじゃからね」と公言したらどうですか。そうすれば、あなたがたがイヤミたらしく、民主政権にあれこれ言うのも理解できます。それとも単なるイヤガラセ?どっちにも組しない中立の公器のような顔をして、民主政権の下ではアレが不安、コレが懸念、ソッチは大丈夫かと、それこそ国民の不安を扇ぎたててることに汲々としているじゃん。

 マスコミの義務の一つは世の中のチェックをすることでもあると、あたしは思うよ。でもそれは公平に行われるべきで、いやしくも関わりのある組織や団体、特定個人に配慮した内容であってはならないのは当然でしょう。そういうことは贔屓にするスポーツ報道だけで充分。さきの郵政選挙の時と違って、せっかく60年ぶりの政権交代というのに水をさすような報道があるのが不愉快。ましてや新内閣もまだ発足していないというのに。ジョーダンじゃないよ。

 小泉政権以降、ガタガタになったあたしたちの生活を守るため、今まで経験したことない政権交代を国民は望んだんだ。自公政権がいくらかでも国民目線で政治をやってきたならば、こういう選択は敢えてする必要はなかったんだよ。あたしたちが家庭を犠牲にしてやっとこさ収めた税金を、湯水のように「無駄なダム」や「私のしごと舘」などに使ったり、「マンガの殿堂」のように麻生ちゃんだけの癒しの館みたいな建設に使おうとする自公の政治家や官僚の、公僕らしからぬ横柄な態度に国民の不満が爆発したんだ。官僚たちも選挙で選ぶことができたら、いまの高級官僚は残らず落選だろうね。思うに安倍ちゃんや福田くんが辞任した時に国民の信を問うていれば、ガス抜きにもなってここまで自公が惨敗することもなかったのに。麻生ちゃんの政権になっても一向に解散時期を決められなかった。ホテルの高級バーに毎夜出かける様子は、失業者であふれる国のトップの行動としては考えられないことであり、宰相失格の烙印を植えつけられたね。あらゆる行動や判断の時期を間違うと命取りになることが麻生ちゃんにもわかったろう。もう遅いけどね。結局、落選した同僚のうらみつらみが渦巻く中を麻生ちゃんは退陣せざるを得なくなった。

 アメリカでは大統領の最初の評価は、就任して100日目くらいに行なわれることが多いけど、日本のマスコミは評価まがいのバッシングをやって、どうして鳩山内閣(まだ発足していないけど)を頓挫させようと張り切るのかしらん。いや叱咤激励のつもり、といってもまだスタートもしていないのに叱咤のほうにウェイト置き過ぎだってーの。野次馬根性の視聴者や購読者を増やすためとしたら、これほど貧弱な発想はないよ。少なくとも日本国民が308もの議席を民主党に与え、与党自民党の議席を181減らし、同じく与党公明党のそれを10減らした事実を踏まえれば、60年ぶりの政権交代の実現に、もっと前向きな報道やコメントがあってもよさそうなものだけど。まるで新参者に対する村八分みたいな記事や報道は寒気がするね。

 アメリカとの関係についても、今まではアメリカのポチに甘んじていた(これはあたしが言ってるんじゃないよ、ある高齢の評論家おじいちゃんがTVでいつも言ってるよ)それを対等な関係にしようとするだけなのになぜ非難されるのか、あたしには理解できない。相手がアメリカであろうとどこであろうと、日本の政治家であるならば独立国日本としての主張をすべきでしょ。戦後、いろいろアメリカに世話になった、そして今は用心棒のようにアメリカに守ってもらっているとしても、あたしたちは犬じゃないんだから(ここだけの話、あたしは元ビーグル犬だけどね)飼い主にするようにアメリカにペコペコすることなんかないじゃないか。


 鳩山内閣が出来てもすぐに評価なんかできるはずがないし、初期評価はどんなに早くても3ヶ月あるいは6ヶ月ほどは様子を見ておこなうのが本当じゃないのかな。真の政権交代というのは、おそらく多くの国会議員が経験したことのないことだから、政策の取り掛かりに手間取るようなこともあるでしょうね。おまけに官僚相手にバトルが展開されるかもしれない。そのへんは評価期間に織り込んでやるべきでしょ。そして公約どおりの方向に進んでいればYesだし、麻生ちゃん時代の自民党みたいなことをやってれば、即座にNoを突きつける。鳩山代表は「公約が実現できなかったら、政治家としての責任をとる」ってはっきり言ったでしょう。有権者にとってこれほど心強い担保はないと思うよ。なんなら自民党の政治家の中で同じことを言った人がいるかね。もし言った人がいるとしても、小泉元首相が「この程度の公約を守れなかったというのは大したことではない」と言ってたから信用できないけどね。自民党における公約(マニフェスト)の重みはそんな程度だろうな。

 マスコミは新参者を叩くだけじゃなく、政権交代は先進国では当たり前のことや、そのへんのメリットやデメリットを世間に知らせる義務があるんじゃないのかな。

 あたしは1年間ほどは、途中でよほどのことがない限り、鳩山内閣を見守りたいと思う。それでこの政権がどこへ向かおうとしているのか、政権の担当能力は充分なのか分かるはず。仮に短期間にこの政権がつぶれるようなことがあったら、日本は中国か、ロシアか、いっそうアメリカの属国になる可能性大、と元ビーグル犬のあたしは思うね。