前原国土交通相が八ッ場ダムを訪れた。あたしはダム建設中止の撤回を求める地元の人たちの心情は痛いほど分かっているつもりだ。その前原大臣がダム建設を中止すると発言したことを、地元の人たちと関係者は「神経を逆なでするような」ことと非難している。この言葉の強さから、あたしが思うに、今さら話し合いとか、謝罪とか、住民への保障などで解決できる機会はとっくに失われ、よほどのサプライズな出来事がなければ解決する可能性はほとんど無いだろうと思ってしまう。
民主主義の下では権力を持つものが政策を進めようとすると、たとえそれが正しいあり方ではないかと多くの人が思えるようなことでも、やはり巨大な国家権力に対する抵抗はすさまじく、常に批判されやすい。マスコミもまたそうした記事や報道が「弱きを助け強きをくじく」の精神に則ったものと考えている。
50数年もダム建設の抗争に巻き込まれ、ようやく安住の地に生活できそうだという矢先、降って湧いたような国土交通大臣のダム建設中止発言。過去のいろんないきさつから見ても、今は「八ッ場ダム建設中止の撤回」を叫ぶ住民の方が明らかに弱者であることは間違いない。自公政権の下では「八ッ場ダム建設中止」派が弱者であった。政権交代とは、時と場合によってそれぞれの立場を180度変えてしまう魔力を、好むと好まざるとにかかわらず、すべてに及ぼすものである。
八ッ場ダムの建設中止によって、今までつぎ込んだ税金(この中にはあたしたちの納めた税金も含まれている)が無駄になる、工事が7割がた完成し、建設を取りやめるターニングポイントをはるかに過ぎている、ダム建設によって先祖代々の土地を手放した住民の心情、それらを考えると到底建設中止はできないと建設続行の理由付けがなされている。
あたしは「ダム建設中止の撤回」派の人たちや多くのマスコミがダム建設による自然環境の破壊についてほとんど言及していないことに驚くのである。ダム建設につぎ込んだ税金が無駄になること、完成間近であること、「ダム建設中止の撤回」派の住民の心情などの前には「自然環境の破壊」というキーワードはそんなに貧弱な、とるに足らぬ軽い言葉であろうか。
八ッ場ダム建設場所は地盤が弱く、ダム建設には不適当ということが国会で論議されたにも関わらず、建設が強行された。不安定な地盤に建設されたダムによって、完成後も住民が苦悩している奈良県の大滝ダムをみるがいい。イタリアではバイオントダムがやはり軟弱な地盤のために地すべりを起こし、下流に住む2000人もの人が死んだ。中国の三門峡ダムは黄砂が堆積し、完成から2年で貯水池が埋没した。アスワン・ハイ・ダムでは下流への土砂流下減少により河口付近の砂州が痩せてきた。ダム湖に土砂が堆積し、下流域では水量の減少により生息していた生物が絶え、川漁も下火になった。河口付近の海岸線に変化をきたし、海底では磯焼けの現象が起こっている例が日本国内のあちこちで見られる。
もし八ッ場ダムが建設され、不幸にもダム湖周辺の地すべり、下流域の川の汚染、河口付近の砂州の減少や海底の磯やけなどの事故が引き起こされたとしたら、一体誰が責任を持つのであろうか。ダム建設にかかわりあった政治家や業者、それにあたしたちですらすでにこの世にいないかもしれない。将来に安全を担保する者がいなくて、どうしてあたしたちの子や孫やその子孫に安全な環境を残してやることができると確約できるのか。地盤が弱く土砂崩れを起こす恐れがあるということは、それが発生する可能性がゼロではないということだ。そういう可能性をゼロにするために、その原因となる構造物を造らないという方向性を選択すべきではないのか。
現在、日本では約140のダムが建設あるいは計画中だという。これを含めた日本のダムの総数は約3000。日本ではダムの堤高が15m以上のものはハイダム、それ以下をローダムと定義しており、日本の基準ではハイダムをダムの基準としていることから、川を寸断するという働きからすれば、ローダムも同じで二つを合わせれば一体どれほどの数があるのだろうか。
山地が70%以上を占める日本において河川の果たす役割は、ちょうど人間の血管のようなものである。むやみやたらと造られたローダムは川の流れを止められ、人間の下肢にできる静脈瘤のようなものである。莫大な税金を投じて造ったハイダムは、おなじく人間の胸部動脈瘤だ。満身創痍の日本の河川をこれ以上痛めつける権限は誰にもない。
このダムが無ければ、多くの人が生命の危険にさらされ、かつ将来にわたってもその恐れが継続するということであれば、建設の必要性について議論することは求められるだろう。今マスコミなどが盛んに報道する中に「八ッ場ダム」本来の建設意義が論じられることは少なく、ダム建設の抗争に翻弄された住民感情だけを突出させて報道しているように感じられ、あたかもダム建設を後押ししているようにみえる。
昭和28年、九州の筑後川が氾濫し、流域に大洪水を起こした。それを契機に治水、利水、発電の多目的として、その上流に下筌ダムが計画された。しかし当時の建設省との交渉過程で国の役人体質に翻弄された地元住民の怒りは頂点に達し、「蜂の巣城」という建設反対のシンボルというべき砦をダム建設予定地の急峻な山肌に築いた。室原知幸氏が中心となり、ダム建設反対を6年間続けたが、外部からの支援者の中に当時の「建設省」や「九州電力」の息のかかった者が紛れ込んで反対派住民を分断させ、なおかつ支援者の中に住民の思惑とかけ離れた「反政府運動」の活動をするものが現われたために弱体化したという。これはあたしがまだヨチヨチ歩きの頃に祖父が話しているのを耳にしたのである。
90度近い山肌に掘っ立て小屋のような「蜂の巣城」がへばりついているのを、あたしは祖父母の家に遊びに行った時に目にした。無数のボロきれのような旗が風になびき、ひしゃげたトタンに赤ペンキで乱暴な字で「反対」と書きなぐっていた異様な風景を今でも鮮明に覚えている。風向きによっては、その「城」からなんともいえぬ臭いがしてきた。建設省の役人が測量にきた時に反対住民が上方の「蜂の巣城」から汚物をまいた、そして流血騒ぎも一度や二度ではなかった、と祖父は教えてくれた。
最近のダムは治水、利水、発電と共に「観光資源」としての側面を持つようになった。「八ッ場ダム」において建設中止反対派の住民の中にはそれを強調する人もいる。あたしがちょくちょく遊びに行った祖父母の家があった下筌ダムあるいは少し下流の松原ダムにしても、車で通りかかる人が少し休憩のためにえん堤に駐車することはあっても、ダム湖を見るために来る人はほとんどいない。ダム建設で走りやすくなった道路を通って、4キロ離れた杖立温泉か、10数キロ離れた鯛生金山、20数キロ離れた黒川温泉を目指しているのである。ダム建設地周辺に主だった観光資源は無かったが、自然はふんだんにあった。ダムによってできた人造湖があるだけで観光客を引き付ける時代ではなくなってきたのだ。人の手が加わらない自然のままの温泉地や、交通に多少不便だが自然を満喫できる方向に人の心は変わってきているのだ。岡山の湯原温泉はその川のすぐ上流にダムの巨大なコンクリートの壁が立ちはだかっている。圧迫されるような風景に川べりの露天風呂に入る気になれず、あたしは早々に退散した。コンクリートの壁さえなければ、どんなにすてきな温泉地であろうかと思ったものだ。
ずっと昔、祖父母の小さな藁屋根の家があったその地を、あたしは数年一度の割合で尋ねる。しかし、それは青い水の底でどのような形を保っているか想像もできず、その座標の上に立つこともできない。たとえ新しい土地にぴかぴかの家を建てても、あたしの心は祖父母が遊んでくれた「ふるさと」にも等しい、あの藁屋根の小さな家を探しにいく。多目的ダムという立派な名がついているけれど、本当にこのダムは人間の幸せに貢献したのか、今でも貢献し続けているのか。もし可能であるなら、このダムのコンクリートの壁を取り崩し、膨大な量の湖水を流して、人造湖の底にある祖父母の小さな家を探し当てたい。
下筌ダム建設のためにその地を離れて40年後の今、あたしが「ふるさと」に感じていることを、「八ッ場ダム」の住民の人たちは、再び数十年後に同じ様に感じることになるのであろうか。今の「八ッ場ダム」の有様を見て何ともやり切れぬ思いを抱くのである。
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