2009年12月24日木曜日

内閣支持率急落の下での政権交代の意義

 民主・社民両党の有志の国会議員は、イラク戦争でアメリカの武力行使を支持した当時の小泉内閣の判断を検証する必要があるとして、第三者委員会の設置を求めることにしたという。

 これはイラクで「戦争の根拠となった大量破壊兵器の存在が確認されていない」ことに基づくもので、イギリスでは同様な理由で独立調査委員会が今年6月に設置され、現在議論されている。

 あの小泉政権の政策について、その功罪を検証することを与党は誰ひとりとしてやってこなかった。郵政民営化に限っても、当時そのことに反対した一部の自民党議員でさえ「もう過ぎたことだから」と今更蒸し返すのは罪悪のような言い方をする。ましてやイラク戦争に加担する理由となった「大量破壊兵器」について、2004年7月米上院情報特別委員会が米CIAの分析の誤りだと糾弾して、その存在が否定されたにも拘らず、それを唯一の武力行使支持の理由にしていた小泉政権や与党の間に、このことに関する論議がされたということを一度も聞かない。衆院選挙に大敗しても、敗因を党の名称や振り子の揺れ戻し的な考えに求めていては支持率の回復は当分望めそうにない。

 小泉元首相は、国会で自衛隊のイラク派遣について野党から質問された時に、「どの地域が非武装地域か私に判るわけがない」と答え、さらに「自衛隊のいるところが非武装地域だ」と、今考えたらとんでもないことを言っている。当時のマスコミはこれを機知に富んだ迷答だと面白おかしく報じていたが、あたしたちが一国の首相を「笑点」に出演している噺家と同じ様なとらえ方をしていたことも、こういう発言を寛容した原因だ。そしてその歪みが今の日本の社会のあちこち見られる。

 イラクに対するアメリカの武力行使を支持したことだけにとどまらず、今まで自公政権が行なってきた種々の政策を政権交代を機に検証しなければ、あたしたちが選んだ政権交代の大きな意義の一つは失われてしまう。またこのことによって政権は下手な政策をやれないという良い緊張を生む。

 民主党が先の衆議院選挙で大勝し、政権交代が実現したのはいいが、これを生かしきれない鳩山政権にはじれったさを通り越して、怒りを感じる。だからといって自公政権の方が良かったと思わないのが不思議だ。それほど自公政権には痛めつけられたということかもしれない。そうはいっても鳩山政権が誕生してまだ100日だから、比較するのもムリがあるという気もする。この先どんな暗闇が待っているか。このまま鳩山政権が続けば、それを覗き見するのも怖いような気がする。

 それにしても最近の鳩山内閣支持率は目を覆うものがあるが、あたしがもっとも歯がゆく思うのは、支持率急落の重大さを当の首相本人があまり危機的にとらえていないように見えることである。この支持率急落はあの安倍内閣とほぼ同じで、ひょっとすると結末も同じになるような気がしてならない。鳩山首相は「国民はじれったく思っているのでしょうが・・・」と、今とっている言動について国民に不満があるのは当然わかっていますよ、でもこれは計算したものでそのうち画期的なことをやりますよ、と思わせぶりな発言をしている。なんかこのあたりは、あのオバマ大統領に言った「Trust me!」と同じに聞こえてしょうがない。

 あたしは自公丸という船から鳩山丸に乗り換えてみたが、どうもこの船長が頼りなさげに見える。おまけに行き先が何処なのかはっきりしない。「国民の生活が第一」という港に着けてもらいたいが、高級船員同士で言い争っている場面も目にするし、時々船員の組頭みたいな人が船長に直談判しているという。近くに自公丸というついこの間まで乗った船が浮かんでいるが、船はメンテナンスが行き届かず、船長はじめ船員にも信用できない人が多く、とてもじゃないが戻りたくない。周りを見渡せば、国新丸、社民丸といった小船がまとわり付いているが、飛び乗ったら沈みそう。といった夢を見ちゃったね。

 政権交代という、社会の仕組みをがらりと変える千歳一遇のチャンスを鳩山政権は生かしきれていない。その点小沢幹事長の行動には、天下を獲るという面から見る限り、感心してしまう。小沢幹事長には国のトップになる気はないと、民主党の元幹部は言っていたが、彼の期を逃さない行動は野生的的で政治家にとって必要なものであるには違いない。しかし、それまでの苦労や時間をかけて創り上げたものを、一時的な己の感情の高ぶりで反故にしてしまう性格が何時現れるかと、あたしには一抹の不安がある。

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