2009年12月15日火曜日

56%は本当に「内閣」支持率か

 NHKがこの11日から3日間行なった世論調査によると、鳩山内閣の支持率は前月の調査の比べ9ポイント減の56%だったという。「支持しない」と答えた人は13ポイント上がって34%。支持する一番の理由は「他の内閣よりよさそうだから」が、支持しない理由では「実行力がないから」が多かったという。

 政権交代から90日目、国民がこの鳩山政権に対して最初の評価を下すのには十分な期間であろう。難題山積のうち、普天間基地の移転先に関して鳩山首相は今日決意をするというが、この政権がどの方に向かっているか、今まで鳩山首相なりに、それとなくアメリカ政府や日本国民にシグナルを発しているようにもみえた。鳩山首相の性格がそうさせているのであれば、女房役の平野官房長官がそのことを補うべきであるがそうではない。それは、これまたこの政権のずるいところではあるが、種々の未解決の問題について方針なりメドを公の場ではっきり言わず、鳩山首相の今までの振る舞いや、ぶら下り会見の発言で心中を察してほしいと思っている点だ。苦悩する心中を察したところで中身がないのだからどうしょうもない。「悩んでいます」という事を以心伝心の手法で訴えたとして、東洋では通じても、欧米の国にも効果があるのかは疑問だ。それより政治家が政策で「悩む」ということを口にするくらいなら政治家を辞めたらどうだと言いたい。

 鳩山首相が常に使う独特の言い回し、たとえば「普天間基地移設の問題を年内に解決しなければならない、というものでもない」という発言に如実にあらわれている。最初の言葉を後で柔らかく否定することである。これは普天間基地の合意も大事、連立政権も大事、沖縄県民の声も大事という八方にいい顔をする姿勢と共通するものだ。

 この3ヶ月で判ったことは、鳩山首相は大事な局面で決断ができない、ということだ。この原因が鳩山首相の性格に起因するものか、小沢幹事長の横槍によって断を下せないのか、どちらがより影響が大きいかは明確にできないけれど、少なくともこの2つの理由によるものが大きいだろう。断を下す段階では、習・中国副主席が天皇陛下と会見することになったいきさつを考えれば、小沢幹事長の意向が鳩山首相に大きく影響している構造は否定できない。

 こういうことを考えると、この内閣支持率は本当に鳩山内閣の支持率か、とあたしは疑問に思うことがある。むしろ「民主党小沢幹事長支持率」とした方がいいのではないか。

 鳩山内閣の支持率が悪くなれば、小沢幹事長の得意とする選挙戦でも悪い影響を与えてしまうのに、二重権力構造をわざわざ印象付けるような戦法に出る小沢幹事長の意図は何か。

 小沢幹事長は14日の記者会見で、まるで自分が日本国の権力のトップかのような発言をしていたが、もし彼が日本の政権のトップであったとしたら、それにふさわしいかというと答えはNoである。小沢幹事長のような策士はある面では非常な能力を発するが、その性格ゆえ民主国家で人々の好感を得ることは難しい。しかし広大な土地を有する中国の歴代の治者と共通するものが見られる。現に600余人の者を引き連れて数日前に中国を訪問した彼は「解放の戦いはまだ終わっていない」「野戦軍の司令官として勝利に向かって頑張っているところだ」と記者の前で発言したように、草原を疾駆する馬上のチンギス・ハーンの顔を小沢幹事長に替えればしっくりする。

 小沢幹事長が民主党の代表であったころ「私は変わった」と発言した事があるが、最近の言動を見ているとあの細川政権が行き詰ったことを思い出すのである。小沢幹事長は首相の座には就けなかったが、ほぼ100%鳩山政権を牛耳ることで、「私は変わった」と言ったにもかかわらず、封印してきた昔の彼の行動が解かれたように思える。

 こうしてみると今回も含め、今後の内閣支持率は鳩山政権の支持率というよりも、民主党(小沢)政権の支持率の意味合いを持つと考えた方がよさそうである。

 小沢幹事長の豪腕はかく言うあたしも認めざるを得ない。良くも悪くもこれほどの戦略と戦術を駆使し、権謀術数も絡み合わせて外交や政策を強引に進める政治家はざらにはいないだろう。政権をとるためだけだったら、それでいいだろう。しかし民主国家では政権奪取後の国民のための政策の実現が大事なことはわかりきったことだ。

 小沢幹事長が14日の記者会見で、天皇のご公務について踏み込んだ発言をしたことは、日本国民に素直に受け止められなかったかもしれない。ひょっとしたら日本国民の民主党政権に対するベクトルを大きく変える原因にもなりうる重要な発言だったと当の小沢幹事長は認識しただろうか。2600年、125代にわたって続いてきた天皇制を揶揄するに近いこの発言は、日本という歴史、文化、風土などを否定する響きを持つからである。政を行なう地は日本であり、その対象の多くは日本国民である事実を無視しては政治はうまくいかない。

 たとえ民主党の策士が政権の座にあったとしても、その政策は民主党の掲げる「国民の生活が第一」に沿ったものでありたいものだ。でなければ、早晩国民のみならずアメリカ、中国など各国などから見放され、「策士、策に溺れる」結果となる。

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