2010年1月26日火曜日

このごろのメディア報道の質(その2)

 読売新聞1月26日付け朝刊は、25日の夕刊に載った「石川議員、手帳にホテル名」の見出しと記事の一部を取り消すという「訂正」記事を掲載した。
 その全文を以下に記す。

 「訂正」 
25日夕刊の「石川議員、手帳にホテル名」の記事で、「東京地検特捜部が押収した石川知裕衆院議員の手帳には、中堅ゼネコン『水谷建設』の元幹部らが同議員に5000万円を渡したとする2004年10月15日の欄に、授受の場所とされるホテル名が記されていた」とありますが、手帳は、04年ではなく、05年のものでした。ホテル名が記載されていた時期も同年4月でした。石川議員側関係者の取材に基づくものでした。記事と見出しの当該部分を取り消します。

 ひと月4000円近い購読料を払ってまで読んだ記事、それも今の政権を大きく左右するかも知れない事柄が、紙面の片隅にひっそりと、それこそ目立たぬように掲載された「訂正記事」で済むものか。思い込みか意図的かわからぬが、よくもまあこんな訂正記事で帳消しにしようとするものよ。この事件の根幹に関わるかもしれない重要なことを、前日の夕刊の15面に、これでもかというくらい大きな活字で「石川議員 手帳にホテル名」の見出しを載せておいて、翌朝には小さな活字で取り消す。まだ某電器会社の「リコール社告」の記事の文字の方が、大きく読みやすい。もちろんネットの記事もいち早く削除されて、影も形もありませぬ(検索ではサマリーの一部が読めるが・・)。だけどあたしの手元にはその夕刊がしっかり残っている。これはどんなことをしても消滅させることはできないだろう。

 この訂正記事の狡猾な点は、この情報が、「石川議員側関係者の取材に基づくものであった」と述べている点だ。そこまで情報源を明らかにするならば、前日の記事になぜ載せないのか。言外にわが社に責任はない、情報源が間違ったことを言った、と責任転嫁している。これは、昨年岐阜県の裏金問題で、某テレビ局が犯した虚偽の報道で、初期に謝罪した構図と全く同じだ。こういうことはキチンとした裏づけをとれば避けることができるのに、なぜかその鉄則が守られない。特に検察がらみの報道では、裏づけを取ることは「悪」という雰囲気さえ、報道関係者の間に漂っている。そういう雰囲気をかもし出す「記者クラブ」なんぞ無くしてしまえと思いたくもなる。

 訂正記事を載せてもそれで済むわけでなく、夕刊の記事をそのまま受け入れ、訂正記事に目を通すことのできなかった読者が少なからずいるだろう、という問題が残る。穿った見方をすれば、意図して事実と異なったことを派手な記事にすることもできる。そして訂正や謝罪は目立たぬように小さく・・・。世論を誘導するとはこういうことをいうのであろう。

 小沢幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件の報道に関して、その情報源を「関係者」と記す以外は頑固に秘匿している新聞社が、訂正記事になると急にその姿勢を崩す。25日の読売夕刊で「石川議員の手帳にホテル名」の記事における取材源については、あやふやな「関係者」と記す以外、それが特捜部なのか、石川容疑者の関係者なのか、何も触れていない。とすれば情報源がどこであろうと新聞記事にした以上、新聞社がその責を負うべきであろう。

 私はこの政治資金規正法違反の一連の報道について、このごろのメディア報道の質に大きな疑問をもっていると別のブログで書いた

 新聞などメディアの報道記事は真実が命だ。ましてや購読料や視聴料を取って流す報道情報には、より高度な質が求められるはずだ。思い込みや、ある意図をもって偏向記事を書いたり、報道することはその組織に致命的な欠陥があると思わねばなるまい。報道は社説や局の意向とは無関係の次元で、事実に即して忠実に伝えることが使命だろう。

 「きっこのブログ」では、偏向記事を書くような新聞の購読など止めたら精神的によろしいのでは、と述べているが、あたしは今のところそこまで思い切れない。

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