小沢民党幹事長の資金管理団体による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件に関する新聞各社の報道は「おかしい」と思う次元を通り過ぎ、今やクレイジーそのものである。
一部の新聞は、この東京地検特捜部のやり方に対し、民主党が対決姿勢を打ち出してきたことを「なりふり構わぬ」と表現している。だからあたしも使わしてもらった。東京地検特捜部に対して。
新聞各社が「関係者によると」と称して事実としての結論も出ていない事件に対し、一方的な情報で紙面を埋め尽くすのであれば、その情報源を明確にすべきであろうとあたしは思う。新聞に限ったことではない。昨年、岐阜県の裏金問題に関し、某テレビ局が虚偽の報道をしたばかりだ。これは持ち込まれた情報の裏付けを十分に取らなかったことが原因だというが、今回の「関係者」からの情報は、裏付けを取らなくてもいいのであろうか。もしそうであれば、情報源だけでも明らかにする必要があるのではないか。とはいっても東京地検特捜部か担当弁護士のいずれかであろうと推測はできるが・・・。ならばなおさらのこと、情報源を明記してもなんらの不都合もないはずだ。でなければ、あたしたちは東京地検特捜部でも担当弁護士でもない、第三の怪しげな情報提供者を考えることになる。あの岐阜県の裏金問題で虚偽した人物と同じ様に。
いまなお新聞各社などのメディアが「関係者」とぼやかした表現をしているのは、万が一事実でなかった場合の保険をかけているような、姑息な方法をとっているとしか思えない。いやそれは新聞社だけではない。東京地検特捜部が勇み足をした時のことも考慮したのであろう。
テレビなどで、ある民主党員あるいはある自民党幹部、ある検察幹部などと称して、字幕だけで実情を語らせる場面があるが、あたしはフィクションとしてしかとらえていない。いわばテレビ局の代弁者だ。いまの小沢幹事長の政治資金規正法違反の報道でも似たようなものだ。こういうようなことを続ければ、後述するが再び「行き過ぎたマスコミ報道」と言われかねない事態が生じそうである。
不可解なのは、国の根幹を揺るがせかねない国会の予算審議時期に、あたしたちの税金で組織立っている東京地検特捜部が「正義」と称して強制捜索や現職国会議員を含む3名を逮捕し、取調べをすることだ。あらかじめ狙ったようなこの一連の行動を不自然とみるのはあたしだけだろうか。特捜部の一挙一動に国民の税金が使われるその真実の捜査過程を、あたしたちが知りたいと思うのは当然のことだろう。
この日本の有様を見て、ニューヨークタイムズ(電子版)は20日、「官僚機構の一部である東京地検特捜部が政治主導を目指す民主党に報復した」と述べている。そうなんだ、誰が見ても今回の東京地検特捜部の行動は、官から日本の政治を取り戻す政策をすすめる民主党への「報復」以外の何ものでもない。
この尋常でない東京地検特捜部のこの事件に対する取り組みを肯定するものは、現在のところ石川知裕容疑者らに関する政治資金収支報告書の「虚偽記載」容疑だけである。それも東京地検特捜部と思われる「関係者」を通して新聞などで報道されたものだけで、当人らが直接あたしたちに語ったものではない。そしてなお特捜部は虚偽記載にいたった動機を、企業のヤミ献金と小沢幹事長を結びつける構図の答えとして、執拗に石川容疑者らを精神的肉体的に過酷な状態にして取り調べている。こういう環境下では、いかにタフな人間であろうと、足利事件で犯人にされた菅家氏と同じ様に、身に覚えのない「自白」をさせることは容易だろう。わずかな事実に骨を通し、肉をつけ、血を通らせて真実に装うことはお手のものだ。
東京地検特捜部の執拗さはそれだけにとどまらず、小沢幹事長の聴取のほかに、彼の妻にも参考人聴取を要請したという。渦中の当人のみならず、家族にも手を伸ばし始めたことに不安を抱かぬ人間がいようか。まるで「お前が出てこなければ、お前の妻を引きずり出すまでだ」と脅しているようなものではないか。
このことを報じるニュースを見て、あたしは「志布志事件」で鹿児島県警が自白の強要や長期拘留などの違法な取調べを行なったことを思い出す。結局は冤罪であったが、この取調べで捜査担当者は「(罪を)認めれば逮捕しない」とか「認めなければお前の家族全員まとめて逮捕してやるぞ」と脅されたという。精神的肉体的苦痛から逃れるため、身に覚えのない罪を認める供述調書にサインした者もいた→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1994年6月に長野県松本市で当時のオウム真理教が起こしたサリン散布事件では8名の方が亡くなった(2008年8月現在)→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6。
警察は第一通報者であった河野義行氏宅の家宅捜査を行い、さらに重要参考人として連日の取調べが行なわれた。この時のマスコミ報道の過熱ぶりは、今で言えば「ブログ炎上」といったものだった。河野氏は被害者でありながら警察やマスコミから事件の犯人であるかのような取り扱いを受けた→(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E7%BE%A9%E8%A1%8C)。後日、長野県警本部長は河野氏に謝罪し、一部のマスコミは当時の行き過ぎた報道について謝罪をした。
足利事件(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6)では法を逸脱した過酷な刑事の取調べに「自白」させられた菅家氏は、限りなく冤罪に等しいと判断されて釈放された後「刑事、検察、裁判官を許す気になれない」といっている。おりしも本日(21日)、足利事件の再審が宇都宮地裁で行われている。
冤罪事件をネットで調べればごまんとヒットするこの時代に、あたしたちは、司法に携わる者が行なうことはすべて正義だという先入観を今こそ取り去るべきだと思うのである。もちろんあたしたちが安心、安全に暮らすために、法というものは何よりも尊重されなければならないものだが、それは万人に対し公平、平等の前提があってこそだ。「江川紹子ジャーナル」にそれこそまっとうなことが書かれている→(http://www.egawashoko.com/c006/000315.html。
「虚偽記載」で、一方は修正報告や何がしかの罰金で幕引きとなり、他方では3人も逮捕される不条理が、司法の中でも堂々とまかり通る世の中になってきていることをあたしは恐れる。
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