2010年2月4日木曜日

朝青龍の引退は当然

 朝青龍が引退することになった。一般人に怪我を負わせた今回の件がきっかけだとはいえ、今までスポーツ新聞どころか、一般紙の紙面を相撲以外の違う場面で飾り立ててきた初場所優勝者の末路は哀れだ。優勝すれば、強ければの一言で、ほかの多くの不祥事には目をつむってきた相撲協会にとって、目玉商品がなくなることは痛手だろう。これも自業自得以外のなにものでもない。あたしにとってみればザマーみろって気持ちになる。いや、日本相撲協会に対してだけど・・・。朝青龍が巡業をサボって母国でサッカーなんぞをした事件の時に、相撲協会がはっきりした態度をとっていれば、まだ痛手は少なかったろうと思うが、もはや覆水盆に返らず、だ。

 朝青龍の人間性そのものは、他の人間と比べて取り立てて異質なものではなかろう。朝青龍と同じ様な人間は同じ町内に一人や二人はいる。でもそういう人間が他人に迷惑をかけたりすれば、警察の世話になる。または町内に住めなくなる。ちゃんと社会のシステムは働いている。ところが今の相撲界はこのシステムが働いていない。朝青龍が本場所に出場すれば、満員御礼の垂れ幕が下がるし、テレビの視聴率もアップする。朝青龍をパンダ同様に扱ってきた相撲協会の今までの怠慢のツケが、今になって一気に吹き出てきたということだ。

 日本相撲協会の理事選において前近代的な制度で選挙が行なわれていたことを、数日前の理事選で知った人は多いと思う。あたしもその一人だ。これが民主国家で国から税制面で優遇されている文科省管轄の財団法人のやることかと思うと、いっそのこと、この財団法人の「事業仕分け」をやってほしくなる。おまけに大方の予想を裏切って貴乃花親方が逆転当選したことで、裏切った犯人さがしに躍起となる一門の姿を見て、いつの時代の、どこの国のスポーツ組織の醜態かとあきれた人もいるだろう。犯人(?)のひとり、貴乃花親方に投票した安治川親方が相撲協会からの退職を公表したが、相撲協会の「厚意」でそれを一晩で撤回するというドタバタ劇から伝統や格式が感じられる人は手を挙げてほしい。安治川親方に対して、これから相撲協会の舅のいじめに似たものがあることは予想できる。そもそもこれは「厚意」ではなくて、相撲協会が安治川親方を「放逐」したという印象を国民にもたれるのを免れたいだけなのである。

 引退を表明した朝青龍は、「自分のいたらなさを自覚して」というよりも日本相撲協会に「見切りをつけた」というべきだろう。相撲協会の理事会に呼ばれ、事情を聞かれるにつれて、心の中で「大相撲の視聴率を上げたオレが何でこんなことで・・・」と思ったかもしれない。これがモンゴルという国で生まれた国民性の違いかもしれない。相撲協会にとって不幸なことは、そういう人間がスポーツの中でも特に格式と伝統を重んじる相撲界に入ってきたことだ。そして横綱になったことだ。いや横綱にしてしまったことだ。幕下のペェペェの頃に相撲協会や親方などから厳しく躾けられてきたら、結果はまた違ったものになったに違いない。ましてや日本の伝統や格式など全く知らなくてあたりまえの外人なのである。この相撲協会にしてこの親方あり、といったところか。

 何々至上主義というのは、えてして誤った方向に社会を導いてしまう。利益至上主義、視聴率至上主義、優勝至上主義、選挙至上主義等々。今回の朝青龍の引退は、日本相撲協会が伝統と格式を軽んじて、観客至上主義、視聴率至上主義、協会至上主義に奔った結果だ。もちろん、相撲協会の理事選において、一時的にしろ犯人探しをするという前近代的な一門のやりかたも、伝統と格式から大きく外れているということを念のため申し添えておく。

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