2010年2月8日月曜日

供述はいつも真実とは限らない

 郵政不正事件で虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた労働省元局長、村木厚子被告の第5回公判が8日、大阪地裁で開かれたが、証人として出廷した塩田幸雄・元障害保健福祉部長が、村木被告に証明書の発行を指示したことについて、「(捜査段階)当時はそう思い込んでいたが、今では記憶にない」と述べ、村木被告へ指示したこともあわせて民主党議員の口利きは「思い込み」と証言した。

 元部長は証明書発行後の国会議員との電話とのやりとりについても、検事から「交信記録がある」と言われ、最近になって別の検事から「ない」と言われたことを思い込みの根拠にしているという。

 捜査段階で元部長は民主党の石井議員から口利きを受けたと供述していた。供述を翻した理由について、元部長は、「その件に関してはぼくが関わっているのが当たり前だと自然に思ったので、調書にサインした」と言っている。これは供述調書が必ずしも真実でないことを言っているようなものだ。このことからあたしたちは、たとえ検察官の下であろうと、そこで得られた供述というものが必ずしも真実であるとはいえないことを改めて知るべきだ。

 元部長はその時の検察の取調べにおける自分を次のように語っている。「一定の大きなストーリーの中で私の立場が位置づけられたように思う。壮大な虚構ではないかと思い始めている」。

 別の被告、凛の会主要メンバーの倉沢被告は担当検事から「あなたの記憶違いだ」と言われ、何度も供述を変えている。すなわち「村木被告から直接証明書をもらった」、「村木被告を紹介されたが名刺交換はしていない」、(倉沢被告の目の前で)村木被告から郵政公社に直接電話をしてもらった日には結局「村木被告とは会っていない」などと供述を変えたことだ。

 当時、村木被告の部下であった上村勉被告は、捜査段階では村木被告の指示を認めていたが現在単独犯を主張している。

 村木被告の初公判があった先月27日、「凛の会」元会員・河野克志の弁護人は、同被告が捜査の段階の取調べで検察官の意向と反した供述をすると、机をたたいて「逮捕するぞ」と脅したり、拘置時の取調べで村木被告らとの共謀を否定すると、別の検察官から「長くなるな」などと言われたという。これが自由で民主的な国といわれる日本で現に今、行なわれている事とは到底思われない。彼の国で行なわれていることと紙一重ではないか。後に証拠となるような物理的な痕跡が体に残らぬよう極力暴力は控えているが、精神的には治癒できぬほどのダメージを受けているのだ。それも真実を述べることではなく、検察があらかじめ作り上げたストーリに合致するような供述でないと、許しを請うことができない民主国家の検察権力とは一体なんだ。

 検察側は昨年12月末の段階で「捜査段階では上司や部下、関係者ら全員が村木被告の関与を証言した。縦、横、斜めすべてガチガチに証拠が固まっている」と言っていたが、ガチガチに固めたものは自分たちの誤った思い込みだったのではないか。

 さらに付け加えれば、大阪地検特捜部はこの事件の供述内容を記した取調べのメモを廃棄したということだ。こういうメモは公文書の性格をもっており、村木被告の弁護人は「信用性の判断を妨げる行為」として批判している。

  あたしの父親は戦時中、下級に属する憲兵のようなことをやっていた。そこで憲兵と警察がお互いの成果を競うため、多くの無実の人間(それも現地の人でなく日本人の方が高い評価を得た)が血祭りに上げられるのを目の当たりに見て、きれいな夕日が沈む遼東湾に、何度身を投げようかと思っていたと、満州の奥地から引き揚げてきて、舞鶴の港に着いたとたんに息せき切ったようにあたしに話してくれた。そして父は最期に付け加えた。本来ならば、同じ人間を拘束し、尋問するような権限を持つ組織がこの世にあってはならない。それができるのは神しかいない、すべての人間が一人残らず迎えるであろう「死」という形で・・・。不幸にしてそのような制度をつくらねばならない世の中になり、そこで人間として不当な扱いを受けるようなことがあったら、もはや人間社会は末路にさしかかったと思うがいい。

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