2010年2月19日金曜日

国母、メダルが獲れずに残念とは思わない

 服装の乱れなどから、HPで勝負する前から日本世論のブーイングと勝負しなければならなかったHPの国母和宏選手は結局8位入賞に終わったが、このことは国母本人にとっても、全日本スキー連盟、日本にとっても「よかった」とあたしは思っている。

 もし金メダルでも獲っていたら、日本の代表としてオリンピックに出場することの意味と目的を十分に知らぬまま、また次回のソチ冬季五輪に参加する可能性があった。そうなれば、今度は国母選手のHPとしての選手生命にも影響を与えるような不祥事が絶対に起こらないとも限らない。そのことは前回のブログに書いた。

 今回の不祥事を起こしてから連盟がとるべきだった最善の方法は、出場を辞退することだったとあたしは思う。最初は連盟もその方向を考えたらしいが、橋本聖子団長に反対されたという。国母選手の今回の結果を見て、橋本団長は「出場させた自分自身の判断は間違っていたとは思わない」と言った。しかし同時にこういうことも言っている。「五輪では競技力だけが求められているのではない」と。

 一部の人たちは今回の件について、自分の政治に対する信条と絡み合わせたと思われるような理由から、国母選手の服装の乱れ等についてこれを統制することは全体主義につながるとか何とか言って彼のふるまいを擁護しているが、あたしは違うと思う。オリンピックには政治を絡めてはいけないと声高に叫んだ人たちから、そういう言葉を聞くのは理解に苦しむ。国母選手の「腰パン」に対して見苦しいから止めよ、と言う声があった直後の会見で「チッ!」「うるせーな」「反省してま~す」と発言する日本の代表選手に抗議した事で、いったいどういう政治問題が含まれているのか知りたい。「全体主義につながる」とはまた大げさな理由を見つけ出してきたもんだ。

 「腰パン」は人種問題と世代間対立のメッセージをはらんだ一種のファッションで、発祥は米国といわれている。個人の趣味の範囲で、そこらへんを腰パン姿で歩く程度ならば、顔を曇らせる人がでてくる位ですむが、オリンピックで国の代表(あるブログではオリンピック選手は国の代表ではないと言っている)として出場するのであれば、それに見合う服装と言動をしてもらいたいもんだ。わからなければ教える。守らなければ罰を与える。これはオリンピックに限らず、民主国家では当たり前のことだ。

 優れた才能を持っておきながら、意味のない悪態をついて、それをカッコイイと思っている若者を、あたしはチョイ悪青二才と呼んでいる。本当は素直な心を持っているのだが、それが照れくさくてわざと悪人ぶる。一連の騒動であたしは国母選手にそれをみた。

 国母選手のご両親はそのことが一番わかる場所にいる。また今回の件が多くの日本国民に幻滅を与えたこともわかっておられるようだ。8位入賞は国母選手にとってそれこそ「チッ!」というものであろう。この反発心は優勝を狙う上で大事なものかもしれないが、人に向かって言う言葉ではないということを悟ってもらい、4年後にはソチの選手村で彼の口から素直な言葉が発せられるのを期待している。

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