G20大阪サミットが29日、閉幕した。
議長役を務めた安倍晋三首相は総括で「力強いメッセージを出せた」と宣言したが、「そうかな?」と頭を傾げたくなる。
なぜなら
本来G20サミットはG7サミットの後に開かれるのが通例なのだが、今回は順序が
逆転した。
なぜG7よりも先にG20サミットが開かれたのか?
それは7月末の参院選を前に、G20サミットの議長国として何らかの成果を上げて目立ちたい安倍首相の裏心があったからである。
今回、大阪宣言には「保護主義と闘う」との文言が盛り込めなかった。それどころか
安倍首相がこの件に対して真剣に取り組んだかというとそれはあやしい。
さらにロシアのプーチン大統領との会談において、安倍首相が北方領土返還について話し合ったという形跡も見られなかった。
政府は外交の難しさをたとえて「相手のある事だから」とよく言うが、この世の中すべてが「相手のある事」だらけである。
安倍首相の人格に疑問を抱かせた次の例がある。
それは、安倍首相は今回のG20大阪サミットの夕食会あいさつで、大阪城復元について触れたとき「大きなミスをしてエレベーターを設置した」と言った。
安倍首相は、体が不自由な人のために大阪城にエレベーターを設置したことを「ミス」と言い、しかもそのことでG20に出席した各国首脳の笑いを誘おうとしたのである。
この安倍首相の発言に対して会場は大きな笑い声が起きるでもなく、各国の首脳はあいまいな微笑を浮かべただけだったという。
安倍首相のこの「エレベーター設置はミス」だとの発言に、バリアフリー社会に逆行するとして障害者のあいだから反発の声があがったのは当然であろう。
一方、このことは些細な事だという反対の声もある。
しかしこれら反対意見を持つ人たちの多くは、大阪城の最上階の天守まで自分の足で上がって行くことが出来る健常者である。
エレベータでしか天守の最上階まで行くことができない障害者の事を思い至ることが出来ない国の最高権力者とは一体何だろう。
場末の飲み屋で一介のサラリーマンが大阪城の復元について偉そうに話をしているのとわけが違うのだ。
国の最高権力者の人格はいつの場合でもすべての国民の模範となるものでなければならない、とは高望みだろうか。
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