2009年10月2日金曜日

鞆の浦の埋め立てと架橋

 広島地裁は1日、福山市の景勝地、鞆(とも)の浦の埋め立て・架橋計画に「待った」をかけた判決。これこそ地球というかけがえのない所に住んでいる人間がおこなう当たり前の判断だと思うよ。

 広島県や福山市は事業の推進する理由に「地域の活性化」ということを挙げているが、それは周辺の地域だけが便利になるかもしれないだけで、鞆バイパスから県道47号線に続けて県道22号線に抜ける道路沿いに立つ、直接鞆の浦の景観を売りにする商店街や、そこに生活する住民にとってはその景観が損なわれるだけで埋め立ての恩恵はほとんど無いのじゃないの。「地域住民の大半」というがどこの地域住民だろうね。今、離合さえ困難な街中の道路は、たとえ人工の砂浜と200mの橋が出来ても道幅が広くはならないのだろう。橋が出来て街中に入り込めば車はやはり渋滞に会いそうだ。観光客を新しい橋に誘導するのであれば、完成した橋をつかって観光客は鞆の浦を素通りすることになる。いくつかの駐車エリアができたとしても、そこから鞆の浦を眺めるだけで県道47号線沿いの商店まで歩いて行く人はいないだろう。街中の車は減って渋滞は無くなったけど観光客も減ったということにならないだろうか。

 もともとこの計画を立てた時のコンセプトがしっかりしてなかったんだ。浜を埋め立てて、モダンな橋でも作れば、街中の車の渋滞も解消でき、観光客も多くなるだろう、と捕らぬタヌキの皮算用で始めようとした事業だろう。こんなことでお金に換算できない貴重な自然と景勝地をぶっこわすつもりなんだ。

 埋め立てと架橋に賛成の地域住民とは一体誰なんだ。その事業で儲かる土木関係者じゃないのかね。鞆バイパスから街中を通らず直接県道22号線を利用する業者だけじゃないのかね。この事業によって景観が損なわれる一番の被害者の住民の声はどこに反映されているのだろうかと不思議に思う。

 県道22号線沿いで商売している人にとって、この事業は魅力だろうね。鞆バイパスからの客が多くなるかもしれない。しかし通行しやすくなった分、素通りしていく車も多いだろうね。その上、目玉の「景勝鞆の浦」の価値は半減すること間違いなしだ。だれもピカピカの橋を見るために鞆の浦に行くわけじゃない。

 この事業をやらないと多くの生命の危険にさらされるんだ、という明確な理由があるならともかく、今の時代、ただ単に交通が便利になるとか、町の活性化とか抽象的な理由をつけて、かけがえのない自然をブルドーザーでぶっ壊すような計画を安易に立てるな、と言いたい。

 どうしても鞆バイパスと県道22号線を結びつけたかったら、山側にトンネル作ったらいいんだ。今の技術では簡単につくれるだろうよ。工事費はかさむだろうけど・・・。自然には代えられない。

 埋め立てと架橋ができても便利になるのは鞆の浦の街中の狭い道を敬遠する車だけということだ。この事業によって、実際に景観を損なう鞆の浦の街中の商店には恩恵が無く、周辺の県道22号線沿いにある業者あるいはその周辺だけにメリットがあるという構図になっている。

 こういう摩訶不思議なことで、多くの税金を使って自然を破壊しようとする鞆の浦の埋め立てと架橋工事にあたしは断固反対する。立派な名目を立てれば立てるほど、裏に胡散臭いハカリゴトが隠されている。それは多くの事例で明らかだし、これからも明らかになるだろう。

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