2009年10月11日日曜日

「鞆の浦」訴訟、広島県が控訴

 やっぱりというべきか、当然というべきか。鞆の浦の埋め立て架橋には景観の保護はもちろん自然環境保護の点からも反対のあたしにしてみれば「当然」はないか。
 
 広島県福山市の景勝地「鞆の浦」の埋め立て架橋計画の差し止めを命じた広島地裁判決に対し、県は控訴する方針を固めたという。「鞆の浦」の景観について「定義があいまい」とし、「現在の狭い道路では消防・救急車など緊急車両の通行、災害時の避難は困難で、住民の生命、財産を守る行政として看過できない」ともしている。

 ちょっと待った。「現在の狭い道路を通行する緊急車両の通行が困難」「災害時の避難は困難」というけれど、そうであれば、何も海を埋め立て橋を架けなくても現在の狭い道を広げたら解決するのでしょうに。道路沿いに由緒ある建物が多くて道を拡張できないのであれば、たとえ海を埋め立てて橋を作っても町中の道幅は旧来どおりで何も解決しないじゃないか。 第一由緒あるものは建物だけでなく、海岸、海、そこに広がる空間も同じだ。

 県の説明では、今度の事業は道幅が狭くてそれで苦労している人たちのためになるようなことを言っているが、そこに矛盾があるのは歴然としている。公共事業と言われるたびに散々聞かされた「住民の生命、財産を守る」というおためごかしはもうたくさん。

 海岸を埋め立てもし、橋をつくり、そして狭い道幅も拡張します、というのであれば分かります。でも、そうであれば埋め立ても橋も必要ないんじゃないの。結局、理由はなんであれ、土木工事が必要なんだ。それで総工費55億なにがしかのお金がどこかの懐に落ちれば理由はたいしたことじゃない、ということか。55億でこの「鞆の浦」の景観は買えないよ。

 「いや、埋め立てと橋が出来たら、そちらの方にバスや大型車を通しますので狭い道の渋滞は減りますよ」という回答を県は用意しているだろう。結局、町中を迂回する道が欲しかっただけで「緊急車両の通行が困難」とか「災害時の避難が困難」という理由を挙げても、そういう事態の時には緊急避難的な処置で一般車の通行が規制されるからあまり意味がないと思うよ。

 事業に反対の原告住民は6日、県に控訴しないよう要請し、賛成派の住民も9日、県に控訴すべきと申し入れていた。

 この構図はダム計画時に日本のあちこちで起こった住民同士の抗争とそっくりだ。いつまで同じことを繰り返すのか。日本列島改造論みたいな40年前の古い考えがまだ地方都市に残存していることが驚きだ。かってのような経済発展が望めない今、公共事業で地方を活性化するという、博物館の倉庫の奥から引っ張り出してきたような理論はもはや賞味期限が切れた廃物だ。

 今回の県の控訴では「住民の生命、財産を守る」といって「町の活性化」は引っ込めた。もしそのとおりであれば、世界遺産の登録候補に挙げられるほどの景勝地で、かつ住民の財産である「鞆の浦の景観」が破壊されるのを看過しないで行政としてしっかり守って欲しい。

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