急転直下、鳩山首相と小沢幹事長の辞任が決まって、日本人が大好きな短期内閣がまた誕生した。少し付き合ってみたが、魅力が無いし、優柔不断だし、決断を先送りにするし、ナイショで他の人と勝手に約束するし、大風呂敷は広げるしで鳩山首相に愛想が尽きた、というあたしの反応は正しい、と思う(?)。でも、小沢幹事長を道連れにするなんて、他の誰もができなかったことをするくらいなら、その蛮勇をもっと早く発揮してくれたらなあ、と思わないでもない。
小沢幹事長らと会見した後で鳩山首相が立てた親指を、マスコミは想像たくましく色々と報道していたが、首相の辞任を予想したマスコミはどこにも無かった。ましてや小沢幹事長共々辞任することも。まあ最近のマスコミの洞察力はそんなもんだ。
あたしはこの5月19日に口蹄疫蔓延の問題をこのブログに書いて以来、鳩山政権のことを書くのを止めていた。それは鳩山首相とその周辺におかしな空気を感じたからだ。その間、マスコミの記事やブログは日米共同声明や、そのことによって社民党が政権離脱をしたことを受けて、これからどうなる、どうするなどとさかんに書いていたが、鳩山首相が辞任するとか、小沢幹事長も同じ運命だ、と予想したものは皆無だった。あたしがこっけいに思うのは、鳩山首相が親指を立てたことを、首相続投の意思だと胸を張って書いたであろう記事を見たときだ。
内閣支持率が20%を割れば、その政権は即座に終わる。これは過去の例からも確かなことだ。参院選を目前に控えて、ころころと総理を変えていては自民党と同じだと言ってみても、それが政権を存続させることになんら役立たないことは明らかなのに、一部のマスコミは鳩山首相の続投だと報じてしまっている。
こんな間違った見通しの中で、鳩山首相が6月2日の民主党両院議員総会で辞意を表明したことは、国民とマスコミに大きなインパクトを与えた。辞任を悟られないよう親指を立てた鳩山首相に対して、なかなかの役者じゃないか、とあたしは思ったものだ。こういう発想をオバマ大統領に対しても行なってくれたら良かった。
サプライズな辞意表明のお陰で、直後のマスコミの緊急世論調査で民主党の支持率は前回より10ポイント近く回復した。こういうどんでん返しがやれるのであれば、その能力をなぜ政権運営に役立てないのかと不思議に思ったが、ケガの功名だったのかもしれない。小沢幹事長を道連れにするということを総会の席上で言ったことも、小沢幹事長が翻意するのを防止するため、意識して発言したのであろうか。こんな細かな芸当ができるのに、いざ政権運営となると目を覆いたくなる鳩山首相とは一体何だったのだろう。やっぱり宇宙人だったか。
2010年6月5日土曜日
2010年1月21日木曜日
なりふり構わぬ東京地検特捜部
小沢民党幹事長の資金管理団体による土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件に関する新聞各社の報道は「おかしい」と思う次元を通り過ぎ、今やクレイジーそのものである。
一部の新聞は、この東京地検特捜部のやり方に対し、民主党が対決姿勢を打ち出してきたことを「なりふり構わぬ」と表現している。だからあたしも使わしてもらった。東京地検特捜部に対して。
新聞各社が「関係者によると」と称して事実としての結論も出ていない事件に対し、一方的な情報で紙面を埋め尽くすのであれば、その情報源を明確にすべきであろうとあたしは思う。新聞に限ったことではない。昨年、岐阜県の裏金問題に関し、某テレビ局が虚偽の報道をしたばかりだ。これは持ち込まれた情報の裏付けを十分に取らなかったことが原因だというが、今回の「関係者」からの情報は、裏付けを取らなくてもいいのであろうか。もしそうであれば、情報源だけでも明らかにする必要があるのではないか。とはいっても東京地検特捜部か担当弁護士のいずれかであろうと推測はできるが・・・。ならばなおさらのこと、情報源を明記してもなんらの不都合もないはずだ。でなければ、あたしたちは東京地検特捜部でも担当弁護士でもない、第三の怪しげな情報提供者を考えることになる。あの岐阜県の裏金問題で虚偽した人物と同じ様に。
いまなお新聞各社などのメディアが「関係者」とぼやかした表現をしているのは、万が一事実でなかった場合の保険をかけているような、姑息な方法をとっているとしか思えない。いやそれは新聞社だけではない。東京地検特捜部が勇み足をした時のことも考慮したのであろう。
テレビなどで、ある民主党員あるいはある自民党幹部、ある検察幹部などと称して、字幕だけで実情を語らせる場面があるが、あたしはフィクションとしてしかとらえていない。いわばテレビ局の代弁者だ。いまの小沢幹事長の政治資金規正法違反の報道でも似たようなものだ。こういうようなことを続ければ、後述するが再び「行き過ぎたマスコミ報道」と言われかねない事態が生じそうである。
不可解なのは、国の根幹を揺るがせかねない国会の予算審議時期に、あたしたちの税金で組織立っている東京地検特捜部が「正義」と称して強制捜索や現職国会議員を含む3名を逮捕し、取調べをすることだ。あらかじめ狙ったようなこの一連の行動を不自然とみるのはあたしだけだろうか。特捜部の一挙一動に国民の税金が使われるその真実の捜査過程を、あたしたちが知りたいと思うのは当然のことだろう。
この日本の有様を見て、ニューヨークタイムズ(電子版)は20日、「官僚機構の一部である東京地検特捜部が政治主導を目指す民主党に報復した」と述べている。そうなんだ、誰が見ても今回の東京地検特捜部の行動は、官から日本の政治を取り戻す政策をすすめる民主党への「報復」以外の何ものでもない。
この尋常でない東京地検特捜部のこの事件に対する取り組みを肯定するものは、現在のところ石川知裕容疑者らに関する政治資金収支報告書の「虚偽記載」容疑だけである。それも東京地検特捜部と思われる「関係者」を通して新聞などで報道されたものだけで、当人らが直接あたしたちに語ったものではない。そしてなお特捜部は虚偽記載にいたった動機を、企業のヤミ献金と小沢幹事長を結びつける構図の答えとして、執拗に石川容疑者らを精神的肉体的に過酷な状態にして取り調べている。こういう環境下では、いかにタフな人間であろうと、足利事件で犯人にされた菅家氏と同じ様に、身に覚えのない「自白」をさせることは容易だろう。わずかな事実に骨を通し、肉をつけ、血を通らせて真実に装うことはお手のものだ。
東京地検特捜部の執拗さはそれだけにとどまらず、小沢幹事長の聴取のほかに、彼の妻にも参考人聴取を要請したという。渦中の当人のみならず、家族にも手を伸ばし始めたことに不安を抱かぬ人間がいようか。まるで「お前が出てこなければ、お前の妻を引きずり出すまでだ」と脅しているようなものではないか。
このことを報じるニュースを見て、あたしは「志布志事件」で鹿児島県警が自白の強要や長期拘留などの違法な取調べを行なったことを思い出す。結局は冤罪であったが、この取調べで捜査担当者は「(罪を)認めれば逮捕しない」とか「認めなければお前の家族全員まとめて逮捕してやるぞ」と脅されたという。精神的肉体的苦痛から逃れるため、身に覚えのない罪を認める供述調書にサインした者もいた→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1994年6月に長野県松本市で当時のオウム真理教が起こしたサリン散布事件では8名の方が亡くなった(2008年8月現在)→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6。
警察は第一通報者であった河野義行氏宅の家宅捜査を行い、さらに重要参考人として連日の取調べが行なわれた。この時のマスコミ報道の過熱ぶりは、今で言えば「ブログ炎上」といったものだった。河野氏は被害者でありながら警察やマスコミから事件の犯人であるかのような取り扱いを受けた→(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E7%BE%A9%E8%A1%8C)。後日、長野県警本部長は河野氏に謝罪し、一部のマスコミは当時の行き過ぎた報道について謝罪をした。
足利事件(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6)では法を逸脱した過酷な刑事の取調べに「自白」させられた菅家氏は、限りなく冤罪に等しいと判断されて釈放された後「刑事、検察、裁判官を許す気になれない」といっている。おりしも本日(21日)、足利事件の再審が宇都宮地裁で行われている。
冤罪事件をネットで調べればごまんとヒットするこの時代に、あたしたちは、司法に携わる者が行なうことはすべて正義だという先入観を今こそ取り去るべきだと思うのである。もちろんあたしたちが安心、安全に暮らすために、法というものは何よりも尊重されなければならないものだが、それは万人に対し公平、平等の前提があってこそだ。「江川紹子ジャーナル」にそれこそまっとうなことが書かれている→(http://www.egawashoko.com/c006/000315.html。
「虚偽記載」で、一方は修正報告や何がしかの罰金で幕引きとなり、他方では3人も逮捕される不条理が、司法の中でも堂々とまかり通る世の中になってきていることをあたしは恐れる。
一部の新聞は、この東京地検特捜部のやり方に対し、民主党が対決姿勢を打ち出してきたことを「なりふり構わぬ」と表現している。だからあたしも使わしてもらった。東京地検特捜部に対して。
新聞各社が「関係者によると」と称して事実としての結論も出ていない事件に対し、一方的な情報で紙面を埋め尽くすのであれば、その情報源を明確にすべきであろうとあたしは思う。新聞に限ったことではない。昨年、岐阜県の裏金問題に関し、某テレビ局が虚偽の報道をしたばかりだ。これは持ち込まれた情報の裏付けを十分に取らなかったことが原因だというが、今回の「関係者」からの情報は、裏付けを取らなくてもいいのであろうか。もしそうであれば、情報源だけでも明らかにする必要があるのではないか。とはいっても東京地検特捜部か担当弁護士のいずれかであろうと推測はできるが・・・。ならばなおさらのこと、情報源を明記してもなんらの不都合もないはずだ。でなければ、あたしたちは東京地検特捜部でも担当弁護士でもない、第三の怪しげな情報提供者を考えることになる。あの岐阜県の裏金問題で虚偽した人物と同じ様に。
いまなお新聞各社などのメディアが「関係者」とぼやかした表現をしているのは、万が一事実でなかった場合の保険をかけているような、姑息な方法をとっているとしか思えない。いやそれは新聞社だけではない。東京地検特捜部が勇み足をした時のことも考慮したのであろう。
テレビなどで、ある民主党員あるいはある自民党幹部、ある検察幹部などと称して、字幕だけで実情を語らせる場面があるが、あたしはフィクションとしてしかとらえていない。いわばテレビ局の代弁者だ。いまの小沢幹事長の政治資金規正法違反の報道でも似たようなものだ。こういうようなことを続ければ、後述するが再び「行き過ぎたマスコミ報道」と言われかねない事態が生じそうである。
不可解なのは、国の根幹を揺るがせかねない国会の予算審議時期に、あたしたちの税金で組織立っている東京地検特捜部が「正義」と称して強制捜索や現職国会議員を含む3名を逮捕し、取調べをすることだ。あらかじめ狙ったようなこの一連の行動を不自然とみるのはあたしだけだろうか。特捜部の一挙一動に国民の税金が使われるその真実の捜査過程を、あたしたちが知りたいと思うのは当然のことだろう。
この日本の有様を見て、ニューヨークタイムズ(電子版)は20日、「官僚機構の一部である東京地検特捜部が政治主導を目指す民主党に報復した」と述べている。そうなんだ、誰が見ても今回の東京地検特捜部の行動は、官から日本の政治を取り戻す政策をすすめる民主党への「報復」以外の何ものでもない。
この尋常でない東京地検特捜部のこの事件に対する取り組みを肯定するものは、現在のところ石川知裕容疑者らに関する政治資金収支報告書の「虚偽記載」容疑だけである。それも東京地検特捜部と思われる「関係者」を通して新聞などで報道されたものだけで、当人らが直接あたしたちに語ったものではない。そしてなお特捜部は虚偽記載にいたった動機を、企業のヤミ献金と小沢幹事長を結びつける構図の答えとして、執拗に石川容疑者らを精神的肉体的に過酷な状態にして取り調べている。こういう環境下では、いかにタフな人間であろうと、足利事件で犯人にされた菅家氏と同じ様に、身に覚えのない「自白」をさせることは容易だろう。わずかな事実に骨を通し、肉をつけ、血を通らせて真実に装うことはお手のものだ。
東京地検特捜部の執拗さはそれだけにとどまらず、小沢幹事長の聴取のほかに、彼の妻にも参考人聴取を要請したという。渦中の当人のみならず、家族にも手を伸ばし始めたことに不安を抱かぬ人間がいようか。まるで「お前が出てこなければ、お前の妻を引きずり出すまでだ」と脅しているようなものではないか。
このことを報じるニュースを見て、あたしは「志布志事件」で鹿児島県警が自白の強要や長期拘留などの違法な取調べを行なったことを思い出す。結局は冤罪であったが、この取調べで捜査担当者は「(罪を)認めれば逮捕しない」とか「認めなければお前の家族全員まとめて逮捕してやるぞ」と脅されたという。精神的肉体的苦痛から逃れるため、身に覚えのない罪を認める供述調書にサインした者もいた→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1994年6月に長野県松本市で当時のオウム真理教が起こしたサリン散布事件では8名の方が亡くなった(2008年8月現在)→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6。
警察は第一通報者であった河野義行氏宅の家宅捜査を行い、さらに重要参考人として連日の取調べが行なわれた。この時のマスコミ報道の過熱ぶりは、今で言えば「ブログ炎上」といったものだった。河野氏は被害者でありながら警察やマスコミから事件の犯人であるかのような取り扱いを受けた→(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E7%BE%A9%E8%A1%8C)。後日、長野県警本部長は河野氏に謝罪し、一部のマスコミは当時の行き過ぎた報道について謝罪をした。
足利事件(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6)では法を逸脱した過酷な刑事の取調べに「自白」させられた菅家氏は、限りなく冤罪に等しいと判断されて釈放された後「刑事、検察、裁判官を許す気になれない」といっている。おりしも本日(21日)、足利事件の再審が宇都宮地裁で行われている。
冤罪事件をネットで調べればごまんとヒットするこの時代に、あたしたちは、司法に携わる者が行なうことはすべて正義だという先入観を今こそ取り去るべきだと思うのである。もちろんあたしたちが安心、安全に暮らすために、法というものは何よりも尊重されなければならないものだが、それは万人に対し公平、平等の前提があってこそだ。「江川紹子ジャーナル」にそれこそまっとうなことが書かれている→(http://www.egawashoko.com/c006/000315.html。
「虚偽記載」で、一方は修正報告や何がしかの罰金で幕引きとなり、他方では3人も逮捕される不条理が、司法の中でも堂々とまかり通る世の中になってきていることをあたしは恐れる。
2010年1月15日金曜日
小沢幹事長の逆襲はあるか
小沢民主党幹事長の資金管理団体をめぐる疑惑で、東京地検特捜部が関連事務所の強制捜査に踏み切ったことは、あたしの予想を多少なりとも裏切るものであった。というのも通常国会の召集を目前に控えたこの時期に、特捜部の参考人聴取に応じないどころか、マスコミへのサービスとして名人と囲碁を楽しんだ様子が放映されたといっても、その腹いせに強制捜査とは少々突飛な感がしないでもないからである。特捜部が、なにがなんでもこの「悪人」をしょっ引くんだという、あらかじめ作られたストーリに沿って動いているような気もするのである。そのせいかテレビ画面に映る、強制捜査のために関連施設に次々と入る特捜部の面々は、高揚したいかにも演技がかった風体である。これはちょうど10ヶ月前の小沢民主党代表(当時)の政治団体が西松建設の不法献金を受け取った容疑で、特捜部が強制捜査をした雰囲気とそっくりである。この時は当時の与党自民党が予算案の審議で苦戦をしいられ、民主党が攻勢をかけていた時である。民主党の攻勢を「そぐ」ためのぴったしの時期と人物だったのである。
あたしが東京地検特捜部が強制捜査をしたという事を知って最初に思ったことは、この時期にこのまま特捜部が国民の理解を超えて(特捜部は小沢幹事長側が多額の不明朗なカネをあちこちに移動させており、その源はゼネコンからの不法献金かもしれない、という情報をマスコミにさかんに流して世論を変えようとしているが)暴走にも近い行動をとれば、小沢幹事長を斟酌して千葉景子法相の「指揮権発動」もありうるかもしれない、ということである。現に千葉法相は就任会見の席上で「国民の視点に立って、検察の暴走をチェックするという点から、きちっと対処していくべき」と発言し、「一般論として指揮権というのはあるわけで、(発動が)絶対ないというわけではない」と含みを持たせた。
法務大臣の指揮権発動は昭和29年の「造船疑獄」の時にあった。当時の犬養健法相が「重要法案の審議」を理由に、当時の与党・自由党幹事長の佐藤栄作氏を収賄容疑で逮捕請求する許可を求めた検事総長に「逮捕請求を延期するよう」指示したものである。
「リクルート事件」でも法相の指揮権発動が取りざたされる場面もあったというが、「造船疑獄」以来60年近く使われなかった「指揮権発動」が、今回東京地検特捜部の出方によってはありうるかもしれない、とあたしはひそかに思う。政権交代という大きな節目を乗り越えた鳩山政権にとって「過去に例がない」という言葉は、たとえどんな政策を進めようとも「政権交代」という名の下には何の障害にもならないからである。「造船疑獄」で一度発動されたものであるならばなおさらだ。
とはいっても国民の支持を得られない「指揮権発動」は考えられない。そこで小沢幹事長が名古屋で「国民も理解してくれるはずだ。だからこそ、政権を我々に与えてくれたのではないか」と発言したのは、国民は我々の味方だと検察に訴えたかったのかもしれない。
12日の小沢幹事長の記者会見が「ふざけた」、「国民を愚弄した」会見などと自民党の幹部や一部のマスコミが言っているが、あの石川知裕元秘書の金沢氏(下記詳細)と同じような発言内容を期待していたとは思えない。それでは自民党の幹部が不祥事を起こして記者会見した時に、意味もなく何度も頭を下げ続けるハッピーバードのようなことを期待していたのか。特捜部の結論が出ていない今の時期に、むやみに頭を下げる小沢幹事長ではないことを百も承知で批判する姿勢は、新聞紙面の活字を埋めるだけの非生産的な反応だ。
小沢幹事長の資金管理団体をめぐる疑惑で、東京地検特捜部がこれほど執拗(あたしにはそう感じる)なのはなぜか。西松建設に関係するものだけに限ってみても、自民党の二階堂俊博元経済産業相や尾身幸次元財相、森喜朗元首相、加納時男国土交通副大臣、山口俊一首相補佐官らに疑惑があるが、それらはいずれもうやむやになったか幕引きしてしまった。そしてこともあろうに当時の自民党漆間官房副長官はこの件に関し、「自民党側は立件できない」と捜査の見通しについて発言した。そして現実にほぼその通りになっている。元警察庁長官のこの確信犯的な発言は西松建設に関する捜査の方向を暗に指示した、いわゆる形を変えた「指揮権発動」だったのではないかとあたしは思っている。
このように西松建設に関する東京地検特捜部の捜査は、特定の政党だけに厳しい目を向ける、いわばダブルスタンダードに従って進められてきたようにも感じる。だから今回の強制捜査についても、あたしは素直に受け入れられない部分がある。
追い詰められた政権が、むやみに検察に不当に介入する指揮権を発動したら国民が許さないだろうし、鳩山政権も危うくなる。さらにいっこうに説明責任を果たさない小沢幹事長と、どうしてこのような秘書を雇っていたのかと理解に苦しむ人間すなわち石川知裕衆院議員の元秘書金沢敬氏の事であるが、その人物が検察の中だけで「証言」するならともかく、有名人気取りでマスコミや野党の前でペラペラと「証言」したことは真偽はともかく、視聴者の興味を大いに誘って、小沢氏は圧倒的に形勢不利である。特捜部は世論の変化を読み取って一気に事件の解明をしようとしてくるだろう。
小沢幹事長の長年の夢(どういったものかあたしには具体的につかめないが)がようやく実現しようとする時に、小沢氏が簡単に「白旗をあげる」とは思えない。もしそうなれば鳩山政権どころか、親小沢派であろうとそうでなかろうと民主党の受けるダメージはあまりにも大きく、22年度予算案の成立も危うくなる。現在、政権の受け皿となる政党が民主党以外にない以上、このことは極端にいえば日本の民主政治の終焉を意味する。
「指揮権発動」の要件のひとつに、「重要法案の審議」があることは先に述べた。「造船疑獄」ではこれが発動の理由だったが、後になってこの理由付けは弱かったといわれている。通常国会が始まれば国会議員の不逮捕特権が生じるが、もし今後石川議員が逮捕され、小沢幹事長までその流れが行きそうになった時、「政治とカネ」の徹底解明のためと称して動く検察と、22年度予算案の審議・成立のいずれが国家のために重要か、それによって緊急避難的に「指揮権発動」が行使されるか否かが決まりそうに思える。
あたしが東京地検特捜部が強制捜査をしたという事を知って最初に思ったことは、この時期にこのまま特捜部が国民の理解を超えて(特捜部は小沢幹事長側が多額の不明朗なカネをあちこちに移動させており、その源はゼネコンからの不法献金かもしれない、という情報をマスコミにさかんに流して世論を変えようとしているが)暴走にも近い行動をとれば、小沢幹事長を斟酌して千葉景子法相の「指揮権発動」もありうるかもしれない、ということである。現に千葉法相は就任会見の席上で「国民の視点に立って、検察の暴走をチェックするという点から、きちっと対処していくべき」と発言し、「一般論として指揮権というのはあるわけで、(発動が)絶対ないというわけではない」と含みを持たせた。
法務大臣の指揮権発動は昭和29年の「造船疑獄」の時にあった。当時の犬養健法相が「重要法案の審議」を理由に、当時の与党・自由党幹事長の佐藤栄作氏を収賄容疑で逮捕請求する許可を求めた検事総長に「逮捕請求を延期するよう」指示したものである。
「リクルート事件」でも法相の指揮権発動が取りざたされる場面もあったというが、「造船疑獄」以来60年近く使われなかった「指揮権発動」が、今回東京地検特捜部の出方によってはありうるかもしれない、とあたしはひそかに思う。政権交代という大きな節目を乗り越えた鳩山政権にとって「過去に例がない」という言葉は、たとえどんな政策を進めようとも「政権交代」という名の下には何の障害にもならないからである。「造船疑獄」で一度発動されたものであるならばなおさらだ。
とはいっても国民の支持を得られない「指揮権発動」は考えられない。そこで小沢幹事長が名古屋で「国民も理解してくれるはずだ。だからこそ、政権を我々に与えてくれたのではないか」と発言したのは、国民は我々の味方だと検察に訴えたかったのかもしれない。
12日の小沢幹事長の記者会見が「ふざけた」、「国民を愚弄した」会見などと自民党の幹部や一部のマスコミが言っているが、あの石川知裕元秘書の金沢氏(下記詳細)と同じような発言内容を期待していたとは思えない。それでは自民党の幹部が不祥事を起こして記者会見した時に、意味もなく何度も頭を下げ続けるハッピーバードのようなことを期待していたのか。特捜部の結論が出ていない今の時期に、むやみに頭を下げる小沢幹事長ではないことを百も承知で批判する姿勢は、新聞紙面の活字を埋めるだけの非生産的な反応だ。
小沢幹事長の資金管理団体をめぐる疑惑で、東京地検特捜部がこれほど執拗(あたしにはそう感じる)なのはなぜか。西松建設に関係するものだけに限ってみても、自民党の二階堂俊博元経済産業相や尾身幸次元財相、森喜朗元首相、加納時男国土交通副大臣、山口俊一首相補佐官らに疑惑があるが、それらはいずれもうやむやになったか幕引きしてしまった。そしてこともあろうに当時の自民党漆間官房副長官はこの件に関し、「自民党側は立件できない」と捜査の見通しについて発言した。そして現実にほぼその通りになっている。元警察庁長官のこの確信犯的な発言は西松建設に関する捜査の方向を暗に指示した、いわゆる形を変えた「指揮権発動」だったのではないかとあたしは思っている。
このように西松建設に関する東京地検特捜部の捜査は、特定の政党だけに厳しい目を向ける、いわばダブルスタンダードに従って進められてきたようにも感じる。だから今回の強制捜査についても、あたしは素直に受け入れられない部分がある。
追い詰められた政権が、むやみに検察に不当に介入する指揮権を発動したら国民が許さないだろうし、鳩山政権も危うくなる。さらにいっこうに説明責任を果たさない小沢幹事長と、どうしてこのような秘書を雇っていたのかと理解に苦しむ人間すなわち石川知裕衆院議員の元秘書金沢敬氏の事であるが、その人物が検察の中だけで「証言」するならともかく、有名人気取りでマスコミや野党の前でペラペラと「証言」したことは真偽はともかく、視聴者の興味を大いに誘って、小沢氏は圧倒的に形勢不利である。特捜部は世論の変化を読み取って一気に事件の解明をしようとしてくるだろう。
小沢幹事長の長年の夢(どういったものかあたしには具体的につかめないが)がようやく実現しようとする時に、小沢氏が簡単に「白旗をあげる」とは思えない。もしそうなれば鳩山政権どころか、親小沢派であろうとそうでなかろうと民主党の受けるダメージはあまりにも大きく、22年度予算案の成立も危うくなる。現在、政権の受け皿となる政党が民主党以外にない以上、このことは極端にいえば日本の民主政治の終焉を意味する。
「指揮権発動」の要件のひとつに、「重要法案の審議」があることは先に述べた。「造船疑獄」ではこれが発動の理由だったが、後になってこの理由付けは弱かったといわれている。通常国会が始まれば国会議員の不逮捕特権が生じるが、もし今後石川議員が逮捕され、小沢幹事長までその流れが行きそうになった時、「政治とカネ」の徹底解明のためと称して動く検察と、22年度予算案の審議・成立のいずれが国家のために重要か、それによって緊急避難的に「指揮権発動」が行使されるか否かが決まりそうに思える。
2009年12月15日火曜日
56%は本当に「内閣」支持率か
NHKがこの11日から3日間行なった世論調査によると、鳩山内閣の支持率は前月の調査の比べ9ポイント減の56%だったという。「支持しない」と答えた人は13ポイント上がって34%。支持する一番の理由は「他の内閣よりよさそうだから」が、支持しない理由では「実行力がないから」が多かったという。
政権交代から90日目、国民がこの鳩山政権に対して最初の評価を下すのには十分な期間であろう。難題山積のうち、普天間基地の移転先に関して鳩山首相は今日決意をするというが、この政権がどの方に向かっているか、今まで鳩山首相なりに、それとなくアメリカ政府や日本国民にシグナルを発しているようにもみえた。鳩山首相の性格がそうさせているのであれば、女房役の平野官房長官がそのことを補うべきであるがそうではない。それは、これまたこの政権のずるいところではあるが、種々の未解決の問題について方針なりメドを公の場ではっきり言わず、鳩山首相の今までの振る舞いや、ぶら下り会見の発言で心中を察してほしいと思っている点だ。苦悩する心中を察したところで中身がないのだからどうしょうもない。「悩んでいます」という事を以心伝心の手法で訴えたとして、東洋では通じても、欧米の国にも効果があるのかは疑問だ。それより政治家が政策で「悩む」ということを口にするくらいなら政治家を辞めたらどうだと言いたい。
鳩山首相が常に使う独特の言い回し、たとえば「普天間基地移設の問題を年内に解決しなければならない、というものでもない」という発言に如実にあらわれている。最初の言葉を後で柔らかく否定することである。これは普天間基地の合意も大事、連立政権も大事、沖縄県民の声も大事という八方にいい顔をする姿勢と共通するものだ。
この3ヶ月で判ったことは、鳩山首相は大事な局面で決断ができない、ということだ。この原因が鳩山首相の性格に起因するものか、小沢幹事長の横槍によって断を下せないのか、どちらがより影響が大きいかは明確にできないけれど、少なくともこの2つの理由によるものが大きいだろう。断を下す段階では、習・中国副主席が天皇陛下と会見することになったいきさつを考えれば、小沢幹事長の意向が鳩山首相に大きく影響している構造は否定できない。
こういうことを考えると、この内閣支持率は本当に鳩山内閣の支持率か、とあたしは疑問に思うことがある。むしろ「民主党小沢幹事長支持率」とした方がいいのではないか。
鳩山内閣の支持率が悪くなれば、小沢幹事長の得意とする選挙戦でも悪い影響を与えてしまうのに、二重権力構造をわざわざ印象付けるような戦法に出る小沢幹事長の意図は何か。
小沢幹事長は14日の記者会見で、まるで自分が日本国の権力のトップかのような発言をしていたが、もし彼が日本の政権のトップであったとしたら、それにふさわしいかというと答えはNoである。小沢幹事長のような策士はある面では非常な能力を発するが、その性格ゆえ民主国家で人々の好感を得ることは難しい。しかし広大な土地を有する中国の歴代の治者と共通するものが見られる。現に600余人の者を引き連れて数日前に中国を訪問した彼は「解放の戦いはまだ終わっていない」「野戦軍の司令官として勝利に向かって頑張っているところだ」と記者の前で発言したように、草原を疾駆する馬上のチンギス・ハーンの顔を小沢幹事長に替えればしっくりする。
小沢幹事長が民主党の代表であったころ「私は変わった」と発言した事があるが、最近の言動を見ているとあの細川政権が行き詰ったことを思い出すのである。小沢幹事長は首相の座には就けなかったが、ほぼ100%鳩山政権を牛耳ることで、「私は変わった」と言ったにもかかわらず、封印してきた昔の彼の行動が解かれたように思える。
こうしてみると今回も含め、今後の内閣支持率は鳩山政権の支持率というよりも、民主党(小沢)政権の支持率の意味合いを持つと考えた方がよさそうである。
小沢幹事長の豪腕はかく言うあたしも認めざるを得ない。良くも悪くもこれほどの戦略と戦術を駆使し、権謀術数も絡み合わせて外交や政策を強引に進める政治家はざらにはいないだろう。政権をとるためだけだったら、それでいいだろう。しかし民主国家では政権奪取後の国民のための政策の実現が大事なことはわかりきったことだ。
小沢幹事長が14日の記者会見で、天皇のご公務について踏み込んだ発言をしたことは、日本国民に素直に受け止められなかったかもしれない。ひょっとしたら日本国民の民主党政権に対するベクトルを大きく変える原因にもなりうる重要な発言だったと当の小沢幹事長は認識しただろうか。2600年、125代にわたって続いてきた天皇制を揶揄するに近いこの発言は、日本という歴史、文化、風土などを否定する響きを持つからである。政を行なう地は日本であり、その対象の多くは日本国民である事実を無視しては政治はうまくいかない。
たとえ民主党の策士が政権の座にあったとしても、その政策は民主党の掲げる「国民の生活が第一」に沿ったものでありたいものだ。でなければ、早晩国民のみならずアメリカ、中国など各国などから見放され、「策士、策に溺れる」結果となる。
政権交代から90日目、国民がこの鳩山政権に対して最初の評価を下すのには十分な期間であろう。難題山積のうち、普天間基地の移転先に関して鳩山首相は今日決意をするというが、この政権がどの方に向かっているか、今まで鳩山首相なりに、それとなくアメリカ政府や日本国民にシグナルを発しているようにもみえた。鳩山首相の性格がそうさせているのであれば、女房役の平野官房長官がそのことを補うべきであるがそうではない。それは、これまたこの政権のずるいところではあるが、種々の未解決の問題について方針なりメドを公の場ではっきり言わず、鳩山首相の今までの振る舞いや、ぶら下り会見の発言で心中を察してほしいと思っている点だ。苦悩する心中を察したところで中身がないのだからどうしょうもない。「悩んでいます」という事を以心伝心の手法で訴えたとして、東洋では通じても、欧米の国にも効果があるのかは疑問だ。それより政治家が政策で「悩む」ということを口にするくらいなら政治家を辞めたらどうだと言いたい。
鳩山首相が常に使う独特の言い回し、たとえば「普天間基地移設の問題を年内に解決しなければならない、というものでもない」という発言に如実にあらわれている。最初の言葉を後で柔らかく否定することである。これは普天間基地の合意も大事、連立政権も大事、沖縄県民の声も大事という八方にいい顔をする姿勢と共通するものだ。
この3ヶ月で判ったことは、鳩山首相は大事な局面で決断ができない、ということだ。この原因が鳩山首相の性格に起因するものか、小沢幹事長の横槍によって断を下せないのか、どちらがより影響が大きいかは明確にできないけれど、少なくともこの2つの理由によるものが大きいだろう。断を下す段階では、習・中国副主席が天皇陛下と会見することになったいきさつを考えれば、小沢幹事長の意向が鳩山首相に大きく影響している構造は否定できない。
こういうことを考えると、この内閣支持率は本当に鳩山内閣の支持率か、とあたしは疑問に思うことがある。むしろ「民主党小沢幹事長支持率」とした方がいいのではないか。
鳩山内閣の支持率が悪くなれば、小沢幹事長の得意とする選挙戦でも悪い影響を与えてしまうのに、二重権力構造をわざわざ印象付けるような戦法に出る小沢幹事長の意図は何か。
小沢幹事長は14日の記者会見で、まるで自分が日本国の権力のトップかのような発言をしていたが、もし彼が日本の政権のトップであったとしたら、それにふさわしいかというと答えはNoである。小沢幹事長のような策士はある面では非常な能力を発するが、その性格ゆえ民主国家で人々の好感を得ることは難しい。しかし広大な土地を有する中国の歴代の治者と共通するものが見られる。現に600余人の者を引き連れて数日前に中国を訪問した彼は「解放の戦いはまだ終わっていない」「野戦軍の司令官として勝利に向かって頑張っているところだ」と記者の前で発言したように、草原を疾駆する馬上のチンギス・ハーンの顔を小沢幹事長に替えればしっくりする。
小沢幹事長が民主党の代表であったころ「私は変わった」と発言した事があるが、最近の言動を見ているとあの細川政権が行き詰ったことを思い出すのである。小沢幹事長は首相の座には就けなかったが、ほぼ100%鳩山政権を牛耳ることで、「私は変わった」と言ったにもかかわらず、封印してきた昔の彼の行動が解かれたように思える。
こうしてみると今回も含め、今後の内閣支持率は鳩山政権の支持率というよりも、民主党(小沢)政権の支持率の意味合いを持つと考えた方がよさそうである。
小沢幹事長の豪腕はかく言うあたしも認めざるを得ない。良くも悪くもこれほどの戦略と戦術を駆使し、権謀術数も絡み合わせて外交や政策を強引に進める政治家はざらにはいないだろう。政権をとるためだけだったら、それでいいだろう。しかし民主国家では政権奪取後の国民のための政策の実現が大事なことはわかりきったことだ。
小沢幹事長が14日の記者会見で、天皇のご公務について踏み込んだ発言をしたことは、日本国民に素直に受け止められなかったかもしれない。ひょっとしたら日本国民の民主党政権に対するベクトルを大きく変える原因にもなりうる重要な発言だったと当の小沢幹事長は認識しただろうか。2600年、125代にわたって続いてきた天皇制を揶揄するに近いこの発言は、日本という歴史、文化、風土などを否定する響きを持つからである。政を行なう地は日本であり、その対象の多くは日本国民である事実を無視しては政治はうまくいかない。
たとえ民主党の策士が政権の座にあったとしても、その政策は民主党の掲げる「国民の生活が第一」に沿ったものでありたいものだ。でなければ、早晩国民のみならずアメリカ、中国など各国などから見放され、「策士、策に溺れる」結果となる。
2009年12月9日水曜日
「国民の生活が第一」は政権を取るための道具だったのか
鳩山内閣の一連のゴタゴタは、あたしたち国民にどういう印象を与えているか首相はご存じないらしい。
普天間飛行場の移設問題をはじめとした他のすじみち不明な政策に対し、各大臣が勝手気ままな意見を言い、内閣の統制のなさをこれでもかと見せつけている。最近にいたっては第2次補正予算の立案に際し、大臣同士のあきれたバトルが展開されるに至っては、あたしはあきれて口もきけない。
鳩山首相はオバマ米大統領が来日した時に、「Trust me(私を信じて)」と言ったらしいが、一国のトップ同士が取り交わした言葉を、場末の公園で恋人同士が交わした言葉程度の軽さで葬り投げる国の日本の総理とは一体何?
鳩山首相は「普天間飛行場移設問題も大事、沖縄の住民の意見も大事、連立政権も大事」と言っているが、そのような状況の中だからこそ躊躇なく決断するのが首相の務めではないのか。政治では、すべての人が納得する解決策はありえない残酷な世界だということを鳩山首相は知らぬらしい。
首相や閣僚の一挙一動で日本の経済や国民の生活が揺れ動くことを、鳩山内閣の各大臣が十分に判っているとはとても思えない。もし判っているのなら、安易な発言や行動はしないはずだ。また、普天間のように非常に大事な問題を、鳩山首相には自分で解決しようとする姿勢がみられず、「時間」に解決させようとしている。名護市長選の結果や沖縄県民の世論の結果を利用して結論を導こうとしているが、これは「他力本願」のなにものでもない。ここでいう「他力本願」とは他人任せという意味で使ったのではない。
ここから先はあくまでもあたしの妄想によるもので誤解しないようにしていただきたい。「他力」とは仏教言葉で「阿弥陀如来の力」だけを指し、このことで本願(約束)を果たそうということだ。このことになぞらえて言えば、おそらく鳩山家は神道で、名護市長選の結果も沖縄県民の世論もすべて神の定めたもので、鳩山首相はそれに従って結論を下そうとしているのではないか。今までの政治の重要課題に対して、天の声か何かを待っているような取り組みと、「友愛」をはじめとして鳩山首相がこれまでに発言してきた説法にも似た独特の言い回しが、他人事のようにそして宗教じみて聞こえたのも理解できる。しかし外交や日本の政治やあたしたちの将来の生活が、もしこのようなオカルトじみた方法で決められるとしたらこれほど国民にとって最悪なことはない。これでは政治家としての資質を疑われるどころか、危険な方向に行くのを阻止しなければと考えられても仕方あるまい。
あたしは先に「天の声を待っている」と書いたが、もう一つの神の声、北国の岩手の声がある。マスコミでは鳩山政権と共に二重政権構造を成しているといわれている小沢幹事長の声である。良くも悪くも小沢幹事長が現政権を99%操っているのは間違いない。
その極端な例が12月4日に首相官邸で鳩山首相と小沢幹事長の会談をめぐる二人の食い違いである。鳩山政権を操るためには、幻になってでも押しかける小沢幹事長を考えれば、あたしの予想は大きく外れてはいまい。
内閣でゴタゴタの元になっている閣僚を切れない、いや少し譲って注意できないその線上には小沢幹事長の意向が働いているのではないか。また、あの行政刷新会議の事業仕分けメンバーの人選ミスで、仙谷行政刷新会議担当大臣が即座に小沢幹事長に対して頭を下げたことや、今度の小沢幹事長の中国訪問では党所属の国会議員が143人と支持者ら計630人が同行するのをみても、鳩山政権に対する彼自身の影響力を誇示する意図がミエミエなのは明らかである。
今のようにどちらを向いても難題ばかり山積し、その解決のメドもつかない状態では、いっそのこと鳩山首相は総理の座を小沢幹事長に譲ったほうがこの政権はうまくいくのではないか、とあたしは動物感覚的に思う。運転している隣の助手席の者が、ひっきりなしにハンドルに手を伸ばしていたら危なくてしょうがない。そんな時あたしは運転を替わる。
民主党が掲げる政策の多くは、国民の願いに沿ったものが多い。そういう意味合いでは「国民の生活が一番」という民主党のキャッチフレーズは大きく外れてはいない。しかし閣内の諍いで「国民の生活が一番」という政策が置き去りにされ、あたしたちが選択もしなかった国民新党や社民党の政策に引っ張られる連立政権はあたしの想定外だ。このことのみならず、他方では外交と経済をうまく操ることができない現政権は無能力だと、国民ばかりか外国からも指摘される前に何らかの荒治療をしないと、早晩与党民主党は、小泉元首相が4日に自民党幹部の前で予言したように「来年の参院選までもたない」かもしれないし、自民党が「2,3年雌伏の時を過ごしたら」今度こそ手ごわい自民党政権が生まれる恐れもある。ひょっとすると小泉元首相は再出馬を狙うかもしれない。
民主党の若手や中堅幹部の中に少なからずいるすばらしい能力をもった議員が、今のようなみっともない政権運営を見て幻滅を感じるとしたら、これは民主党にとっても日本の国にとっても大変不幸な事である。
普天間飛行場の移設問題をはじめとした他のすじみち不明な政策に対し、各大臣が勝手気ままな意見を言い、内閣の統制のなさをこれでもかと見せつけている。最近にいたっては第2次補正予算の立案に際し、大臣同士のあきれたバトルが展開されるに至っては、あたしはあきれて口もきけない。
鳩山首相はオバマ米大統領が来日した時に、「Trust me(私を信じて)」と言ったらしいが、一国のトップ同士が取り交わした言葉を、場末の公園で恋人同士が交わした言葉程度の軽さで葬り投げる国の日本の総理とは一体何?
鳩山首相は「普天間飛行場移設問題も大事、沖縄の住民の意見も大事、連立政権も大事」と言っているが、そのような状況の中だからこそ躊躇なく決断するのが首相の務めではないのか。政治では、すべての人が納得する解決策はありえない残酷な世界だということを鳩山首相は知らぬらしい。
首相や閣僚の一挙一動で日本の経済や国民の生活が揺れ動くことを、鳩山内閣の各大臣が十分に判っているとはとても思えない。もし判っているのなら、安易な発言や行動はしないはずだ。また、普天間のように非常に大事な問題を、鳩山首相には自分で解決しようとする姿勢がみられず、「時間」に解決させようとしている。名護市長選の結果や沖縄県民の世論の結果を利用して結論を導こうとしているが、これは「他力本願」のなにものでもない。ここでいう「他力本願」とは他人任せという意味で使ったのではない。
ここから先はあくまでもあたしの妄想によるもので誤解しないようにしていただきたい。「他力」とは仏教言葉で「阿弥陀如来の力」だけを指し、このことで本願(約束)を果たそうということだ。このことになぞらえて言えば、おそらく鳩山家は神道で、名護市長選の結果も沖縄県民の世論もすべて神の定めたもので、鳩山首相はそれに従って結論を下そうとしているのではないか。今までの政治の重要課題に対して、天の声か何かを待っているような取り組みと、「友愛」をはじめとして鳩山首相がこれまでに発言してきた説法にも似た独特の言い回しが、他人事のようにそして宗教じみて聞こえたのも理解できる。しかし外交や日本の政治やあたしたちの将来の生活が、もしこのようなオカルトじみた方法で決められるとしたらこれほど国民にとって最悪なことはない。これでは政治家としての資質を疑われるどころか、危険な方向に行くのを阻止しなければと考えられても仕方あるまい。
あたしは先に「天の声を待っている」と書いたが、もう一つの神の声、北国の岩手の声がある。マスコミでは鳩山政権と共に二重政権構造を成しているといわれている小沢幹事長の声である。良くも悪くも小沢幹事長が現政権を99%操っているのは間違いない。
その極端な例が12月4日に首相官邸で鳩山首相と小沢幹事長の会談をめぐる二人の食い違いである。鳩山政権を操るためには、幻になってでも押しかける小沢幹事長を考えれば、あたしの予想は大きく外れてはいまい。
内閣でゴタゴタの元になっている閣僚を切れない、いや少し譲って注意できないその線上には小沢幹事長の意向が働いているのではないか。また、あの行政刷新会議の事業仕分けメンバーの人選ミスで、仙谷行政刷新会議担当大臣が即座に小沢幹事長に対して頭を下げたことや、今度の小沢幹事長の中国訪問では党所属の国会議員が143人と支持者ら計630人が同行するのをみても、鳩山政権に対する彼自身の影響力を誇示する意図がミエミエなのは明らかである。
今のようにどちらを向いても難題ばかり山積し、その解決のメドもつかない状態では、いっそのこと鳩山首相は総理の座を小沢幹事長に譲ったほうがこの政権はうまくいくのではないか、とあたしは動物感覚的に思う。運転している隣の助手席の者が、ひっきりなしにハンドルに手を伸ばしていたら危なくてしょうがない。そんな時あたしは運転を替わる。
民主党が掲げる政策の多くは、国民の願いに沿ったものが多い。そういう意味合いでは「国民の生活が一番」という民主党のキャッチフレーズは大きく外れてはいない。しかし閣内の諍いで「国民の生活が一番」という政策が置き去りにされ、あたしたちが選択もしなかった国民新党や社民党の政策に引っ張られる連立政権はあたしの想定外だ。このことのみならず、他方では外交と経済をうまく操ることができない現政権は無能力だと、国民ばかりか外国からも指摘される前に何らかの荒治療をしないと、早晩与党民主党は、小泉元首相が4日に自民党幹部の前で予言したように「来年の参院選までもたない」かもしれないし、自民党が「2,3年雌伏の時を過ごしたら」今度こそ手ごわい自民党政権が生まれる恐れもある。ひょっとすると小泉元首相は再出馬を狙うかもしれない。
民主党の若手や中堅幹部の中に少なからずいるすばらしい能力をもった議員が、今のようなみっともない政権運営を見て幻滅を感じるとしたら、これは民主党にとっても日本の国にとっても大変不幸な事である。
2009年12月3日木曜日
流行語大賞に「政権交代」
今年の話題の言葉を選ぶ流行語大賞に「政権交代」が選ばれたんだっていうのだから日本も平和だね。デフレも異常な円高も日米のゴタゴタも鳩山首相の偽装献金etc(エトセトラだよ。高速道路のETCではないからね)で問題山積の鳩山政権の門出を祝うには、いささかブラック・ユーモアじみて聞こえるけど、流行語大賞の表彰式に出席した「みんなの党」の渡辺喜美代表が「民主党は期待はずれ」と痛烈に皮肉ったそうで、その気持ちはわからないでもない。
「政権交代」は単なる時事語だとして批判的な声があるが、鳩山首相は「政権交代は今年限り。来年は政権維持」と代理を通じて言っている。でも目前の問題をいまだ何一つ解決できずに、先送りしているようでは来年の政権維持も黄信号が灯りそうだ。現に社民党の福島党首は、沖縄普天間飛行場移設問題で、もし辺野古に飛行場が作られるようなことになったら、社民党は連立を抜けることもあり得ると言ったそうな(3日テレビ朝日)。
足元からきな臭い煙が上がっているのに、鳩山首相は例のごとく「重く受け止める」と言ったきり。もうこの言葉は聞き飽きた。鳩山首相は偽装献金ー俄然偽装めいてきたのでこの言葉を使うーのことで頭の中はヒート状態なのか、ぶら下がり会見では目が泳いでいるようにも見えるのはあたしの思い過ごしか。
民主党に最大限えこひいきして判断すると、最近の鳩山首相のこの優柔不断(のふりをしているの)は民主党小沢幹事長の意向が大きく反映しているのかもしれない。鳩山政権に対する小沢幹事長の影響力は前々から言われてきたことだけど、鳩山政権が今すぐにでも具体的な結果を出せることさえも先延ばしにしているのはなぜか。鳩山政権も民主党もすべては来年の参議院選挙を目指して動いているようだ。だからそのためには、国民が大喜びしそうな政策も今すぐには具体化せず、参議院選挙に影響しそうな時期を選んでいるような感じだ。最近の地方選では民主党の立候補者が苦戦しているけれど、参議院選挙を考えたらものの数ではないと思っているのかもしれない。現に小沢幹事長は「事業仕分け」ならぬ「陳情仕分け」を導入してきた。民主党の窓口を通したものだけを政府に取り次ぐシステムにするという、従来の自公政権時の政官財癒着べったりの陳情風景を見たら、こういうやり方もありかな、と思う。そして陳情する者はいやでも民主党に顔を向けねばならなくなるというのが狙いだ。
「民主党は期待はずれ」というのは、ひょっとすると小沢幹事長のシナリオにあらかじめ描かれたもので、来年の参議院選挙を狙ったものかも。選挙直前に民主党の公約を次々実現させれば、期待はずれの感があった分、効果は大だからね。で、今は亀井大臣や福島大臣が何を言おうとコメントもせず黙っている。ただ国会法改正について社民党がこの件を検討もせず無視した態度を非難したいきさつがあったけどね。
マスコミは民主党の小沢幹事長をどこかの国のドンみたいに描いているけど、ノッポリした鳩山首相にこの幹事長が付いていなければ、鳩山政権は今頃ずるがしこい官僚や腹黒の自民党の長老たちにコテンパンにやられて、それこそすぐに二度目の政権交代が起きたかもしれない。政変に等しい政治の変わり目では、にらみを利かしたドンは必要悪だと思うね。懸念があるとすれば、小沢幹事長が昔の癖を必要以上に発揮しだすと、昔と同じあの場面を目にする可能性があることかな。
自公政権の下では赤のフィルターを通していたのでなかなか見えなかった悪事が、民主党の政権になって青いフィルターを通してみたら、よくもまあこんな悪どいことが長年ばれずにと思うようなことが、あちこちでポロポロと露見してきたなあーとこのごろよく実感できる。一番いい例が元アメリカ局長が沖縄の返還における密約の存在をつい最近証言したことだ。91歳にもなる高齢な元アメリカ局長は「歴史を歪曲するのは国民のためにならない」と言ったそうで、もし自民党政権下であったならばこうはいくまい。このことだけでも政権交代の意義はある。
政権交代は過去の政治の歴史を検証するうえで大きな意味があるのを知れば、いままで55年間一党独裁の政治が日本に何をもたらしたかわかるだろう。一部の者は自民党政権は敗戦国である日本を繁栄させたというが、それは800兆円の借金の上に作り上げたものだ。それもまだふくらみ続けている。地方の借金と隠し借金をあわせると900兆円の借金王国、それが日本の現状だ。
こういう中で流行語大賞に「政権交代」を選ぶなら、来年はぜひとも「借金大国」と言う言葉を選んで欲しい。
「政権交代」は単なる時事語だとして批判的な声があるが、鳩山首相は「政権交代は今年限り。来年は政権維持」と代理を通じて言っている。でも目前の問題をいまだ何一つ解決できずに、先送りしているようでは来年の政権維持も黄信号が灯りそうだ。現に社民党の福島党首は、沖縄普天間飛行場移設問題で、もし辺野古に飛行場が作られるようなことになったら、社民党は連立を抜けることもあり得ると言ったそうな(3日テレビ朝日)。
足元からきな臭い煙が上がっているのに、鳩山首相は例のごとく「重く受け止める」と言ったきり。もうこの言葉は聞き飽きた。鳩山首相は偽装献金ー俄然偽装めいてきたのでこの言葉を使うーのことで頭の中はヒート状態なのか、ぶら下がり会見では目が泳いでいるようにも見えるのはあたしの思い過ごしか。
民主党に最大限えこひいきして判断すると、最近の鳩山首相のこの優柔不断(のふりをしているの)は民主党小沢幹事長の意向が大きく反映しているのかもしれない。鳩山政権に対する小沢幹事長の影響力は前々から言われてきたことだけど、鳩山政権が今すぐにでも具体的な結果を出せることさえも先延ばしにしているのはなぜか。鳩山政権も民主党もすべては来年の参議院選挙を目指して動いているようだ。だからそのためには、国民が大喜びしそうな政策も今すぐには具体化せず、参議院選挙に影響しそうな時期を選んでいるような感じだ。最近の地方選では民主党の立候補者が苦戦しているけれど、参議院選挙を考えたらものの数ではないと思っているのかもしれない。現に小沢幹事長は「事業仕分け」ならぬ「陳情仕分け」を導入してきた。民主党の窓口を通したものだけを政府に取り次ぐシステムにするという、従来の自公政権時の政官財癒着べったりの陳情風景を見たら、こういうやり方もありかな、と思う。そして陳情する者はいやでも民主党に顔を向けねばならなくなるというのが狙いだ。
「民主党は期待はずれ」というのは、ひょっとすると小沢幹事長のシナリオにあらかじめ描かれたもので、来年の参議院選挙を狙ったものかも。選挙直前に民主党の公約を次々実現させれば、期待はずれの感があった分、効果は大だからね。で、今は亀井大臣や福島大臣が何を言おうとコメントもせず黙っている。ただ国会法改正について社民党がこの件を検討もせず無視した態度を非難したいきさつがあったけどね。
マスコミは民主党の小沢幹事長をどこかの国のドンみたいに描いているけど、ノッポリした鳩山首相にこの幹事長が付いていなければ、鳩山政権は今頃ずるがしこい官僚や腹黒の自民党の長老たちにコテンパンにやられて、それこそすぐに二度目の政権交代が起きたかもしれない。政変に等しい政治の変わり目では、にらみを利かしたドンは必要悪だと思うね。懸念があるとすれば、小沢幹事長が昔の癖を必要以上に発揮しだすと、昔と同じあの場面を目にする可能性があることかな。
自公政権の下では赤のフィルターを通していたのでなかなか見えなかった悪事が、民主党の政権になって青いフィルターを通してみたら、よくもまあこんな悪どいことが長年ばれずにと思うようなことが、あちこちでポロポロと露見してきたなあーとこのごろよく実感できる。一番いい例が元アメリカ局長が沖縄の返還における密約の存在をつい最近証言したことだ。91歳にもなる高齢な元アメリカ局長は「歴史を歪曲するのは国民のためにならない」と言ったそうで、もし自民党政権下であったならばこうはいくまい。このことだけでも政権交代の意義はある。
政権交代は過去の政治の歴史を検証するうえで大きな意味があるのを知れば、いままで55年間一党独裁の政治が日本に何をもたらしたかわかるだろう。一部の者は自民党政権は敗戦国である日本を繁栄させたというが、それは800兆円の借金の上に作り上げたものだ。それもまだふくらみ続けている。地方の借金と隠し借金をあわせると900兆円の借金王国、それが日本の現状だ。
こういう中で流行語大賞に「政権交代」を選ぶなら、来年はぜひとも「借金大国」と言う言葉を選んで欲しい。
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